夏の終わり
2024.9.9。休日。今日はずっと室内に留まり、久しぶりに本を読んでいた。深く集中して物語の醍醐味を堪能する読書まではいかなかったが、様々な本を拾い読みしてはノートに書きつけたり、そこから新たな思考が始まって過去の記憶を遡ったりしていた。合間に家事を行い、食事を作ったりしていると、あっという間に夕方になっていた。時間割のない一日はどうしても間延びする。それを無駄ととるか、時間とともにストレスも溶かせたからよしとするか。答えは出さずにただ受け止めておく。
昨日、夜空いてる?と職場のパートさんから声をかけられる。ん?また飲み?と返事をすると、いや、花火を持ってきたからみんなでやらない?とのこと。当日に言うことか?と思えど、子どもが学校あとに遊びに行こうぜ!と走っていくのに似て、何だか微笑ましく参加することにした。
中年ばかりが10人ほど集まる。3台の車に分乗して移動する。家が近い者は一旦帰って後から合流。シャワー浴びてこれるのいいなぁと口々に。一人だけ若者が混じって、外が暗くなるまでファミレスで待機する。僕ともう一人は飲み始める。他の人は元々飲まないから、遠慮なく飲んでね!という言葉に甘えて。
川辺に到着すると、他にもキャンパー達が何組かいる。途中買い足した酒を飲みながら、ゆるい雰囲気で花火に火をつけては小さく喝采をあげる。実際は90分ほどだったが、花火を手に、腕を振り上げたり回ったりしながら、みんなそれぞれ何かを思い出していたのだとすれば、それが優しい記憶でも、痛みを伴うものでも、手に持った花火が消えるとともに、また格納庫にしまわれていく。一瞬の強い感情とともに。
全員職場の人達で共に働いているチームメイトだったので、いつもの仕事のような役割分担を各人が勝手に担って動いているのが面白かった。車から出した道具を並べたり、川に消化用の水を汲みにいったり、折りたたみの椅子を広げて並べる、空き缶をカットして火種用のロウソクを立てたりと、本当にスマートな役割分担と行動だった。組織がうまく行かないのは指示者のミスがほとんどではないか。ある程度慣れ親しんだメンバーで構成されたチームは、現状の環境に合わせて、最善の行動をナチュラルに考えつく。責任者のエゴやドヤ感は、自分が采配を振るっているのだ、俺のやり方が正しいのだという誤解につながる。反省しないタイプだとなおタチが悪い。永遠に気づけない。知らぬ間に人が離れていく。自分がそうならないよう心に刻む。仕事あとの疲れた体にはちょうどいい、ファンタジックな時間だったな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?