エネルギーが枯渇する

あなたはいずれ帰ってくる。この族は、この家は、この町は、あなたを受け入れるだろうか。わたしだって、あなたと暮らせる自信はない。けれど小鳥がいたほうが、親鳥は巣を見つけやすいだろうし、そこに住む理由を見つけられるかもしれない。だからわたしは帰った。帰るわたしは戦っていた。

五所純子「薬を食う女たち」


2024.8.18。自宅療養126日目。6:00起床。 ここ数日、気持ちが低空飛行しており、日記どころではなかった。簡単な日課だけを何とかやりきり、後はずっとドラマばかり観ていた。受身のまま、寿命を削られるがまま、時間を溶かし、料理すらろくにせず、ほとんど食べることのなかった揚げ物ばかり詰め込んでいた。

精神と肉体、それぞれにエネルギーのゲージがあるとすれば、精神はゼロ、肉体は50%といったところか。心と体のバランス、とはよく言われる言葉だが、本当にその通りだ。体が元気であっても、心が転倒していては、総体としての自分の生命は燻ったまま動かない。休めのサインだろうと無理に納得させるが、これだけの期間休んで、外部からのストレスもゼロなのに、なぜ休みが必要なのか?と自問するばかり。

今日は何とか起き上がれた。食事こそ雑だが、米を炊いて味噌汁を作った。卵が残っていたので、味の素を振りかけ卵かけご飯にした。ドラマ『ブラックペアン』を思い出す。医師役の二宮和也も劇中で卵かけご飯を食していた。汁物があるとシンプルな食事でも満足する。おかずは無し。

数日前の通院でリハビリが終わった。後は自分で頑張れとのこと。教えた通りに、くれぐれも無茶はせずに。完全に治るまでには時間がかかるから焦らないこと。そう言われた。同時期に入院していたおじさんも同じ療法士さんなので、元気がどうか聞く。個人情報があるから詳しくは言えないけど、元気にリハビリにきてるとのこと。彼のほうが重病だったので少し心配。宜しく伝えてくれとお願いする。

家で使っているメモは無印のバインダーで、値段も安いし方眼の替えもあるのでずっと使っているが、その佇まいが好きではない。何か良いものがあれば別のバインダーにしたいと思っているがこれというものが無く、そのノートに文字を書きつけるたびにテンションが下がり続けていた。

本屋に行った帰りにロフトをのぞいてみると、何とも綺麗なグリーンのリングノートがあった。これはいい!と思うが、ノートだと紙の入れ替えができない。これが表紙のバインダーならベストなのにと諦めかけた。しかしリングノートも同じ26穴だから、ノートをバラして表紙だけ使えばいいんじゃない?と思い直し、喜んで買う。家に戻り、勢いよくノートをバラす。リング部分をこじ開けて雑に外し、さあこれで生まれ変わるぞと装着したら、穴の幅が違っていてうまくハマらない。マジか、、、と合わない部分をハサミでカットして穴を繋げ、無理矢理に差し込んでみる。一応形にはなったが、雑にカットした穴の見苦しさと不安定さで全く使い物にならない。元のノートにも戻せず、そのままゴミ箱に直行した。何をやってるんだと落ち込んだ。

いろんな事がチグハグで、この中年の自分は、何で生きているのだ?と疑問がわく。しかし考えたところで何も浮かばず、その疑問は霧散する。生きる意味など無いことはわかっているが、生きる目的くらいは設定しないと、人生が前に進まない。そんな基本的な問いは、今までにも何度か想起したと思うが、今回は重症かもしれない。足の怪我も治ってきたとはいえ、まだ走ることができないし、歩行の速度も通常の8割程で、どんどん抜かれていく。それも理由に含まれているのだろう。時間とともに逆境を跳ね返す力が自分の内に溜まっていくが、その速度が加齢とともに遅くなっている。可視化できない精神的な老いは、こちらの想像をはるかに超えて、実人生に被害を及ぼす。

中途半端な悲劇を進んでいるが、今後これが喜劇に転じるシーンはやってくるのか。誰が脚本を書いているのかわからないが、ひとこと言っておきたい。エネルギーが無くなったら終わりだからね、早めに場面転換してくれよ。小さな、本当に小さなさざなみでもいい、喜劇的なシーンをそろそろ頼むよ。



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