無駄遣いされる言葉

私は自分がどこに行こうとしてるのか知らない、でも断固として走り抜く。

パスカル・キニャール『アマリアの別荘』

自宅療養67日目。6:00起床。今日は病院にてリハビリの日だがあいにくの雨。アプリで天気の流れを見ると、リハビリ終わりくらいから激しさを増すようなので、行くのをやめる。次回は10日後と結構先なので、自宅でのリハビリを頑張らないと。一昨年転倒した時に発生した新たな痛みが少し緩和していて安心する。

起きてすぐにドラマを2本観る。『ビリーブ』と『リベンジ』ともに最終話。前回までの印象は変わることなくそのままフィニッシュ。謎解きが物語の中心にある場合、脚本と演出のどちらかがコケると全体の印象がつまらなくなる。例え役者さんたちが熱演していても。そういう意味では残念だったな。次のクールに期待したい。

今日は一日中ベッドに横になっていた。何度か寝落ちしては目覚めて煙草を吸って動画を観てまた寝てしまう。その繰り返し。朝にサラダ、夕方にパスタを食べた。特に美味しいなどの感想もなく、ただ流しこんだだけだ。夕方に雨が止んだので買い物に行こうかと思ったがやめた。路面が濡れていて転倒が怖かった、というのは言い訳で、ただただ面倒なのだろう。

だらだらとこんな日記を書いていて何の意味があるのかと自問する。内容はともかくとして、書く喜びみたいなものが全く無くなってしまった。何かを伝えたいわけでも、意見を開陳したいわけでもない。時間が溶けていくのがよくわかっているのに、それを傍観するだけの毎日。生きることに意味は無い。だからこそ自分で意味をつけていく。それもわかっているが、気力がわかない。重量が増して、何をするにも今までの1.5倍くらいの労力が必要な感じがする。つい一週間前には過去のクドカンのドラマを観て、やっぱり人間は素晴らしい!などと思っていたのに。

自分がどこに行くかわからず、かつ歩みも遅く、断固とした決意もない。言葉がどんどん枯れている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?