おばさんを見習うところから社会が救われる
宮台真司が的確な言葉で言っていた。
社会がどんどんクソ化し、人間がどんどんクズ化していく。もう少し上品な言葉で言えば、例えば損得 以外の配慮をしない人間が増大し、そのようにしか動かなくなった社会の固化である。
単に道徳レベルでの嘆きを言っているのではない。
市場そして民主主義は、支配的に見えるそれぞれの合理的行動だけで回転するシステムではなく、その外側にある思いが始点になければ、実は、墜落してゆくシステムであるということなのだ。例えば、損得以外の配慮と言うものが人になければ、それは正常に作動していかない、損得以外の要素がくみ込まれなければ墜落してゆくと言うことなのだ。
人々は、一見システムを支配的に動かす要因にのまみ意を用いる。
外にあるものを無駄なものとして排除してゆく生活になってゆく。自覚的にも無自覚にも。
無駄なものとはどんのものか。
例えば、おばちゃんのお喋りである。田舎や下町で野菜を買う時、ものをやり取りする時、天気のことを話したり、家族の様子を訪ねたり、そういう無駄話ができると言う体質である。
それがない人間と言うのは、クズのような人間であると言ってもいいのだ。
具体的で我々がなすべき第一歩は、人に無駄に話しかけよう、話しかけることがほんのり温かい気持ちになるような会話を遠慮せず日々どんどん重ねていこう。そうすればあなたはクズから少し脱することができ、社会もクソから脱することができるのかもしれない。
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