小説-「心が軽くなるかもしれない扉」
アメブロに初めて投稿した小説です。アメブロから完全引っ越ししましたので、少し手を加えて、少しづつ投稿していきたいと思います。
file1 佐藤一樹の夜
佐藤一樹は今夜も足取りが重く、鬱々とした気持ちで駅に向かっていた。最近の一樹は、皆の前で上司の叱責を受けることが日常的になってきている。だからといって、慣れるものでもない。どうしてこんな風になってしまったんだろう。目の前の問題を解決することよりも、なんで、なぜ、僕ばかり、っと、いう思いが頭から離れない。一樹は小、中、高と普通の成績で、普通のどこにでもいるような学生だった。誰かにいじめられるとか、いじめるとかとは無縁で、目立たないが嫌われることもなく、仲の良い友達もいて、告白はしていないが好きな女子もいて、たまにだるい日もあったけど、毎日、何思うことなく卒業するまで楽しく過ごした。家族は祖母、両親、妹と一樹の五人家族。父親は地元の小さな建設会社に勤めている。母親も近くの工場にパート勤務。工場内でお菓子のパック詰めの仕事をしている。しっかりものの妹は高校を卒業して看護学校に通っている。一樹は何となく大学生になり、何となく地方を出て、今の会社に入社して七年目。
何となくが良くなかったのかもしれない。もっと良く考えれば良かった。一年目はまだ良かった。二年目、三年目、四年目、、、後輩が増えるたび、自分の出来の悪さが目立ち、惨めになる一方だった。憧れの事務の女性がいたけど、何だか憐れ目で見られているような気がするのは、気のせいだろうか。後輩にも馬鹿にされている気がしていたたまれない。朝から落ち込んだ気持ちで職場に行くので、又失敗をしてしまう。大学生時代に、俺は必ず○○になる。○○に入る。って意気込んで語ってたやつがいたな。僕にはそこまでしてなりたいものややりたいことが無かったから、入社できればどこでもいいや。って、軽く考えていた。父親も母親も安定が一番だといって、それ以上のことは言わなかったし、僕任せだった。社会がこんなにも厳しいことを教えておいてほしかった。いや、そんなことを思う僕は子供だ。恥ずかしい。消えてなくなってしまいたい。。。
重い足取りのまま、駅の裏通りに入っていった。ただ何となくこのまま一人のアパートに戻る気分にもなれず、かといってお酒が飲めない一樹は、バーや居酒屋に入って酔ってしまうことも出来ない。
こんな時、お酒の力を借りれたらな、、、なんて思ってトボトボ歩いていた。
灯りの少ない路地裏に青く光っている、いや、実際には光ってはいないのだけれど、小さな扉に目をとめた。扉には、ペイントの手書きで、「心が軽くなるかもしれない扉」って書いてあるプレートが掛かっていた。一樹は吸い寄せられるように扉に手をかけた。
「あのぉ、、、」
「いらっしゃいませ、どうぞ」
迎えてくれたのは、四十歳前後の女性だろうか。小さくて、ほっそりした可愛らしい女性だった。身体のラインに沿った、白いタートルネックにふんわりした黒のスカート。ピンク色のパンプスはより彼女の可愛さを引き立てているような気がする。僕は危ない店に入ってしまったんだろうか。奥から強面の男が出てきたらどうしょう。一気に緊張が走った。
「怪しいですよね。」
僕の気持ちを察してか、彼女がふふっと笑って言った。
「こちらは、ただ、休みたい。話を聞いてほしい。そんな方のお部屋です。勿論他言無用です。一時間千円になっております。扉のプレートに書いてあるように、心が軽くなるかもしれないお部屋です。あくまでもかもなので、ふざけていると思われましたら、このまま帰られても大丈夫です。飲食店ではありません。いかかがなさいますか?」
何だか、ふざけている、馬鹿にされているような気がしたが、口について出た言葉は
「お、お願いします。」
だった。一体、飲み物も注文もせず、何をお願いするのか、、、
照明が小さく薄暗い部屋の中。とてもいい匂いが漂っている。何かのアロマの香りだろうか。香りに疎い僕には何の香りか分からない。
「どうぞ、お掛けになって下さい。」
「あっ、はっ、はい。」
勧められたのは、扉から左側奥、小さな窓辺に置いてある二人用のアンティーク風の無垢材の四角いテーブルとセットの椅子だった。彼女は椅子をテーブルから離して、僕の斜め前に座った。何を話していいのかわからず無言の空気が流れ、苦痛に感じそうになったとき、優しそうに微笑んでいる彼女と目があった。
静かだな。ぐるりと狭い部屋の中を見渡してみる。白い壁。つやつやした焦げ茶色の木の床。青い扉は右側、扉から左側テーブルの手前に紺色のリクライニングアームチェアーが置いてある。こちらも少しアンティーク風だ。さっき言ってた休むって、ここで休むってことかな?右奥にはついたてがある。何があるのかな。その手前には小さなチェストがあり、少しばかりの本や青い小瓶に小さな花がさしてある。ふと、視線を感じて戻ると目があって、少しどぎまぎした。
「やっぱり怪しそうですよね。」
ふふっと彼女が笑った。
「お客様は子供の頃、何に夢中になっていましたか?」「えっ?」
突然何の質問だろう・・・「えっと、、、カードゲームとか、、、サッカーとか、、、」
「お友達にはなんて呼ばれていたんですか?」
「僕、一樹っていうんで、かずきって言われていました。いつも五、六人でつらって遊んでいました。普通の子供でした。」
「・・・幸せな子供時代だったんですね。」
「そうですね。楽しかったです。その中の一人が大して勉強も出来ないのに、いつも楽しいことを次々と考えてきて、一緒になってバカみたいに遊んでいました。」
「どんな楽しいことを考えてくるの?」
その後は段々調子が出てきて、子供時代のあんなことや、こんなこと、久しぶりに沢山しゃべって、沢山笑った。彼女も一緒になって笑ってくれた。
「おもしろーい!あなたのお友達最高!そのお友達、あなたの存在にきっと感謝してましたね!」
「そんなこと、、、思うかな?僕はただついていってただけだし、、、」
「ううん。あなたみたいに、一緒になって笑ってくれたり、バカしてくれたりする存在があるから、そのお友達も輝くの。それにあなたの笑顔は人をとっても安心させてくれる。」
「・・・そういえば、彼、僕らの仲間内で一番最初に結婚したんですが、みんな、結婚披露宴っていうのも初めてっていう高揚感があったからか、今思うと可笑しいんですけど、みんなでびーびー泣いて、、、その時言われたんです。ありがとう。かずきのおかげでみんなと喧嘩してもすぐ仲直りが出来た。いつも側に居てくれて安心した。って。僕としては、ただ、平和主義者で、喧嘩するとかが苦手だっただけなんですけど、、、」
「ねっ、あなたのお友達はちゃーんと、わかっている。ふふふっ」
それから、僕は考え込んでしまった。
「お口に合うかしら?」
「えっ?」
いつの間に彼女は席を立っていたんだろう。目の前には、湯気の立っている粕汁が置いてある。
「どうぞ、召し上がれ。」
一口啜ってみる。
「、、、ばぁちゃん」
涙が一つ、つーっとこぼれていく。ばぁちゃん。忙しい母の代わりに家の中のこと、ほとんどしていた。学校から帰るとかずちゃん、お腹すいたろう、おにぎりあるよ。っていつも言ってくれた。冬になると、僕の好きな粕汁をよく作ってくれた。大好きなばぁちゃん。優しいばぁちゃん。二口、三口、、、心の中に温かいものが広がり、気がつけば彼女にお構いなしに泣いていた。僕の大好きな小芋の入った粕汁。夢中に啜った。美味しかった。こんなに食事が美味しいこともすっかり忘れていた。身にしみた。それからの僕は、今の職場で上手くいっていないこと。今日も上司の叱責を受け、どうしていいかわからないこと。とても落ち込んでいた事等、口にした。彼女は静かに、時折うなずきながら聞いてくれた。
一通りしゃっべた僕は幾分か気持ちが落ち着いてきた。
「すっ、すみません。沢山しゃべりすぎたみたいで、、、えっと、今何時、、、えっ、こんな時間。すみません。つっ次の方、大丈夫ですか?」
三時間も経っていた。そういえば、僕を椅子に勧めてくれた時に、扉の向こうのプレートを入れていた気がする。
「私は大丈夫です。一人は好きなんですが、今夜も一人で過ごすことになるのかなって思っていましたから、一緒に過ごして下さってありがとうございます。」
「そ、そんなこと、、えっと、お代金は、、粕汁代も、、。」
「千円になります。」
「えっ、と、千円でいいんですか?」
「はい。ほかは私からの贈り物です。」
「あっ、ありがとうございます。」
おもわず頭を下げた。
「宿題」
「えっ?」
「私からの宿題・・・明日朝一番、出会った方に笑顔で挨拶、贈り物してあげてくださいね。」
夜空を見上げる。最近、顔を上げていなかった気がする。月がきれいだ。僕の心は少しだけ軽くなったのかもしれない。何だか、可笑しくなってきた。