なんでも投資、の世の中がこわい
世の中を見渡せば、なんでも投資である。
月々、いくらいくらを投資に回しましょうとか、積み立てNISAで将来に備えましょう、とか、余ったポイントはポイント投資に回しましょう…など、さながら投資ブームである。
多くの人が、金融について興味を持ち、リテラシーを高めていくことはいいことだ。
日本は、金融リテラシーが低いというのが通説で、諸外国と比較してお金の知識が乏しいので将来への備えも十分ではないという指摘がある。
実際に、一昔前にFIREというのが流行った。老後を過ごすのに十分なお金を稼ぎ、投資で不労所得を得、あとは悠々自適に暮らすというライフスタイルで、多くの人がFIREを夢見て、砕け散ったのは記憶に新しい。
兎にも角にも、投資なのだ。
投資をしていないと、遅れた人として扱われる。
投資をしていないと、情弱者として扱われる。
投資をしていないと、将来に備えていない人として扱われる。
このような雰囲気が蔓延している。
投資をすることで、お金が増えていく…という幻想を抱いている。
日本全体が総中流階級またはそれ以下になっていることを示している。
将来への不安、明日への不安、次の瞬間の不安…
誰も、「投資ではなく現金預金で持つことが安心」という人はいない…強いて言えば、経済ジャーナリストの荻原博子さんぐらいだろうか。
投資をしたことによって、利用者は手数料を取られる。しかし、それは巧妙に隠され、表立った形では利用者に認知されない。
コンビニへふらっと立ち寄って買う。本来買わなくてもよいものを買った、その金額は、投資をして数年から数十年で得られた利益に等しい。コンビニに行けば、その利益が即時、対消滅する。
いわゆるラテマネーというもので、多くの消費者はこのラテマネーは意識されない。なのに、投資に関してはやたらとうるさい。
タイムパフォーマンスという割に、高価なスマートフォンを所有している。
そのスマートフォンの性能は、多くの消費者の使い方ではあまりに余る。
タイムパフォーマンスという割に、サブスクの多くに課金をしている。その数百円程度のお金というのは、投資で得られる利益以上の金額だ。
投資に手を出す人に限って、自動販売機で飲料水を買ったり、ミネラルウォーターを買うのだ。
元来、投資をしている人というのは、ある一定以上のリテラシーがある人だけだった。
ラテマネーを消費する人たちは、そもそも投資という概念すら思い浮かばなかったのである。
しかし、SNSやメディアが投資について騒ぎ立てたことで、投資についてよく知らない人にも広まった事実がある。
結局のところ、世の中の投資、投資、投資と言われるものは流行り、ブームなのだ。
投資をすることで、なんだか世の中を一段高いところから俯瞰してみることができるような気がする。
そして、投資をしている自分は高尚な人種で、リテラシーが高い気がするのだ。
周囲に、ネットで聞きかじった投資や世界情勢に関する断片的な情報を、さも我が領分のように嬉々として周囲へ語る。
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