正義は存在しない
このように難しく説明をしなくても、身近に「正義は存在しない」という事例を見つけることができる。
例えば、戦争。
戦争は、争っている国ごとの「正義」がぶつかりあっている事象だ。
そもそも、人間は個々において、それぞれの置かれた立場が異なり、また育ち方も異なり、経験している内容も違う。それゆえに、同じ現実を見ていても、解釈が存在する人間の数だけある。
ある人は正義といったことも、またある人にとっては不正であり、不正と解釈している人がいて、それを正義だと解釈する人もまたいるのだ。
個々の、唯一の人間が集まり、不完全な言語を用いて決定を下し、制度を制定し、ルールを作ったところで、それが全員にとって正しい結果へと導くものとはならないのだ。
しかし、一般的に正義と言われる制度やルールは、多くの人にとって有益であるように考慮されているが、一部の人にとってその利益を享受できていない現実も、またある。
最大多数の幸福は、正義であるか?
最大多数にこぼれた、少数の存在は、どのようにして救済すればいいのだろうか。
哲学者・池田晶子の言葉にこんなものがある。
正義は結局のところ、個による自己満足なのだ。多数の人が、それを正義だと思っていても、あくまで同じ考えを持つ個が集合しているに過ぎない。だから、正義は数量で判定できない。多いからそれが正しいということではないのだ。
自分が自分の選択に納得する。それを他人には押し付けない。押し付けなくていいのだ。
実存主義のサルトルによれば、ある人がした選択は、人類を一歩、その選択の方向へ進めたことになると言っている。
だから、正義を振りかざす必要なんてない。そもそも正義なんて言葉は存在しても、実在はしないのだから。
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