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やらない理由は考えない、やる理由を考える_博論日記(2024/08/17)

週一を目標に更新しているnoteが、6週空いてしまった。6月から低空飛行状態だったのが、ものの見事に墜落してしまった。
今はまだ立て直している最中で、うまく言葉を紡げない。「前後不覚」「博論(研究)の現状」「お盆休み」「スクラップブック(自分で自分を定義する)」の4つのトピックを立てて現状のあらましを報告する。

■前後不覚

いつ調子を崩したのか。毎日つけている日記を振り返ると、7/4に途絶えていた。調子が悪くとも、今日に至るまで基本的に仕事には毎日行っていた。ただし10〜12はそれさえもできず、完全に引きこもった。土日祝と続けて休んで、計6日間の休暇と相成った(夏季休暇2日間と年次休暇1日を合わせて、お給料は確保)。
日記復帰は8/2。約30日間、抑鬱状態で、時に熱中症になり、時に喉風邪を引き、傘もなくしてしまった。働いている時以外はただただ眠っていたいという思考停止状態で、好奇心も動かず、食欲に振り回されてコンビニで散財した(家計簿もつけられず、歯止めが一切効かなかった)。
何がきっかけで浮上したのか。よくわからないが、少なくとも7/30の仕事終わりにzoomで研究チームのミーティングに参加。先生直々に「参加できますか」と個人LINEが来て、これは出なければ、と気力を溜めた。
そのミーティングの最中、後輩の助成金申請書をチェックする先生の以下の言葉に「ああ、そうだった。以前、そう言われていたよな」とじんわりお腹が温まる気持ちがした。

「"これは実際できることだろうか"と迷った時、それをやらない理由を考えるのではなくて、やる理由を考えましょう。やらない理由に関しては容易に思いつけるものなのだから、それを考える必要はないです。」

私の論文を書く作業が進まないのにはいろんな要因があるが、根っこのところで「こんな低レベルな話を開陳していいのか」「もっとやりようがあったはずだ(他の研究者ならもっとうまくやっただろう)」という「論文を書かない(方がよい)理由」をつらつら考えているから。でも、「私は本件の論文を書く。その理由は……」というところを真剣に考えなければ、と思った。

8/3にはzoomでカウンセリングを受ける。整った部屋でカウンセリングを受けたくて、部屋の掃除をする。
3月以来の久しぶりのセッション。カウンセラーさんに「3月は経済的に自立したい、ということがお話の中心でしたよ」と言われ、ハッとする。すっかり忘れていた。経済的自立ということに関して言えば、現在親の扶養も外れ、健康保険にも入り、ある程度達成できていると言えよう。研究が進まないからすっかり忘れていたけれど、できていないことばかりじゃないんだな。

この日を境に、お味噌汁ルーティンを復活させて今日に至る。

■博論(研究)の現状

・書評の〆切(7/14)に間に合わなかった(✔︎ 8/12に兎にも角にも提出)。
・投稿論文②の修正〆切(7/31)に間に合わなかった(✔︎ 8/16に謝罪及び今後の対応について問い合わせる旨、メールを書いた)
・11月の国際学会におけるワークショップで、私が筆頭著者のテーマを第二著者の先生が発表して下さることになり、要旨を加筆修正((✔︎ 8/10に間に合った)
・課題A:9/16から始まる講義資料の作成(全15回、うち1回:中間試験)
・課題B:8月末日〆切のコラム執筆
・課題C:9月末日〆切の投稿論文①再修正
・課題D:〆切問合せ中の投稿論文②修正継続

■お盆休み

8/10~14とお盆休みを取った。まず8/10から11にかけて、京都から仙台への夜行バスに乗車。そして仙台から秋田への昼行バスに乗り換えて、計約13時間半かけ、秋田の祖父母・父宅へ。無事祖父母と父に再会し、またお盆の墓参りに行くことができた。

大好きな風景
盆棚
祖父母曰く、「こんな感じ」という記憶で飾りつけているので本式ではないらしい。
藁の馬
父が栽培するミニトマト
葉に斑点が出てしまって悲しいとのこと

揃って85歳の祖父母と今年も再会することができて、本当によかった。お盆までに調子を戻せて、本当によかった(昨年はちょっと危なかった ※ note参照)。

帰りは秋田空港から伊丹空港へ飛んだ。航空券の予約が遅れ、往路は高いチケットしかなくてバスにした。バスにはバスの良さがあるが(地を這って進んでいる感じがする)、来年は早めに往復の航空券を予約しよう。

■スクラップブック(自分で自分を定義する)

潰れる直前のnoteは「俺たち、できる子やで!」というタイトルだった。

この言葉を私はとても大事に思っているし、信じているのだが、どうにもうまくいかない。
なんでだろう。

8/2、ふと三条京阪のBOOK OFFに吸い込まれた。本を見ることで好奇心がくすぐられる程度に感受性を取り戻し、また本を見ることで萎縮しない程度に心身に芯が通ったようだと気づく。
200円でスティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』を買った。いろんなジャンルの棚に分かれて並んではいたが、店内に10冊以上在庫があって、非常によく売れた/読まれた本であることが伝わってきた。棚をぶらぶらめぐっていて、あまりに何度も目にするものだから、読んでみたくなったのである。

BOOK OFFからドトールに移動し、さっそく本を開く。なかなか考えさせられる本だった。

以下、読書メモより。

自分の内面を見つめて私の抱えるパラダイムが何かと探ってみると、心の奥底に「自分は基本的に劣っている、あるいはいつも何かが不十分だ」という意識があることに気づく。
それが「私にはできない」という結論をいつも導き、「できないことから自分を守る必要がある」と、眠りに逃げ込ませるのではないだろうか。

「できる子やで!」と思いたい。でも根本的に私は私を信じていないところがある。

私にとっての「成功」の尺度は、結局やっぱり他との比較によって作られているのではないか。他人の意見や人との比較によってではなく、自分の中から自分自身を定義できるようになりたい。それが自立ということではないだろうか。

自立するために。自分はどういう自分であることを望んでいるのか。

今はまだ、文章にできるほど考えはまとまっていない。
以下は、スクラップブックから。これまで自分の心に引っ掛かってきた「ことば」を紹介することによって、来週に繋げたい。

複雑さに耐えうる知的な肺活量を持ちたい

私もよろよろだが、「あるべきところ」に辿り着きたい
「あるべきところ」ってどこだろう?

私は世間が狭い。浅慮である。だからこそ、相手を理解しようとすることを怠りたくない。
だけど同時に、「共感できない」と思い定めた後にどうふるまうか、そこに重心を置きたい。

私自身はちっぽけな存在だけど、私のこの身体と心・一個体分で、堂々としていたい。

群ようこ『かもめ食堂』の帯より。

<To Do>
・博論本文:
  11月(予備審査委員会立ち上げ願い)
  12月予備審査
  2月口頭試問
 3月修了


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