みっつめの目_博論日記(2023/11/12)
2023年12月4日の予備審査出願まで、あと22日。
noteをまたも3週お休みしてしまった。調子を大幅に崩し、2週間ずっと布団の中でぼんやりしていた。立て直すのにかかった1週間を加えて3週間。ぼんやりしている間は私にとって一瞬だったけれど、3週間は3週間。眠っている私の頭上でいろんなものごとが起こり、過ぎていったようだ。一昨日あたりからぐっと寒くなり、秋の深まりを感じる。
休んでしまった失敗、博論スケジュールの調整、就活対策……いろいろ考えてはいるけれど、まずとにかく日常を取り戻すことに全力を尽くしている。このnoteもその一環だ。なるべくリラックスした気持ちで書きたくて、柴田聡子の『ぼちぼち銀河』というアルバムを流している。歌詞含め、音楽の断片が闇にまたたく煌めきのようで、とても沁み入る。
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調子を大きく崩すこと、眠ることによってストレスを回避しようとする悪癖(自己防衛)をなかなかやめられない。なぜやめられないのか。どうしたらやめられるのか。これらを考え始めると深みにハマるので、今は棚上げしている。
ただその代わりと言ってはなんだが、調子を大きく崩した後に復活する手法は確立されてきたように思う。
朝起きる/お湯を沸かす/顔を洗う/コーヒーをハンドドリップする/お味噌汁を作る/お味噌汁を作ったよとツイートする/薬を飲む/歯磨きをする/夜シャワーを浴びる
これらができたら(骨組みを作れたら)「まる」。あとは寝ていてもいい、と思い定める。復活初日などはエネルギーがなくて、骨組みを作るので精一杯だが、翌日、翌々日と「まる」の日を重ねる内にエネルギーが溜まってきて、自然とプラスαの動きができるようになる。
今日は復活して7日目だが、一昨日の時点で大学で1日作業するところまで戻せた。
骨組み作りの中で最も苦手なのは「シャワーを浴びる」ことだ。疲れていると「とにかく眠らせてくれ」という激流に流されて、たやすく省略してしまう。そして、シャワーを浴びていないことが翌日のプレッシャーに変わってしまう。
今回ようやく、これならばという対処法が見つかった。それは「シャワーを浴びる」を「厄を湯で流す」と読み替えることだ。
「シャワーを浴びる」のイメージに含まれている、髪や身体を洗うこと、ひいてはドライヤーで髪を乾かしたりすることが億劫なのであって、服を脱いで湯を浴びるだけなら簡単にできる気がする。湯を浴びる意味は髪や身体を洗うためではなく、厄を湯で流すためだと割り切ったら、罪悪感が減る。
復活してから7日間この読み替えを試しているが、おもしろいことに、大抵の場合は湯を浴びることができた時点で髪や身体を洗おうかという気持ちに自然となっている。不思議だ。
「シャワーを浴びる」を「厄を湯で流す」と読み替えることの他に、もうひとつ、今回試していることがある。それは、みっつめの目を意識することだ。
おでこあたりに目があるイメージなのだが、スピリチュアルなことを言っているわけではない。集中からふっと離れた時・不安な時に、ビデオで自分を映している映像というか、自分を演者のように見る目のことを、みっつめの目と表現している。
これを意識することの何がよいかというと、集中からふっと離れた時・不安な時に、自分の心を通した風景ではなく「今ここにある身体がどう見えるか」という風景が立ち上がるのがよい。ほてった身体を冷たい風に当てるような感覚と言ったらよいか。どういう理屈かまだよくわからないが、とにかくちょっと落ち着く。
例えば、このnoteを書こうとして、私のふたつの目は心の中を覗き込んでいる。もちろんパソコンの画面などいろんなものを見ているのだが、おそらく見据えているものは心の内にある。
それに対してみっつめの目は、noteを書いている私をビデオ撮影しているような視点なので、机の上に10冊以上本を積んでいること、スリッパが片方脱げていること、手がかさついていることなどが見える。それは不安感とは違う次元にあるように思える。
このみっつめの目を、継続して育ててみようと思う。
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最後にお散歩記録。
昨日、久しぶりに1時間ほどお散歩をした。3週間歩いていなかったので、歩き始める前は楽しく歩けるか不安になった。心を柔らかくするリハビリで、ちょっとでも「いいなあ」と思うものは写真を撮ることにした。
①先斗町の街灯のおしりが千鳥柄でかわいかった。
②がまぐち屋さんの引き戸の磨りガラスがおしゃれだった。
そういえば、私が寝ている間に阪神タイガースがなんと38年ぶりに日本一になっていた。お散歩中に見つけた阪神タイガースにちなんだものを2つ紹介する。
a. 阪神デザインのがまぐち
b.阪神デザインの装束をまとった雛人形
阪神ファンではないけれど、生活圏をともにする人びとの多くが待ち望んできたことが叶ったというのは明るいニュースで、波及効果で私も嬉しい。
昨日の散歩ルートは三条大橋から岡崎経由で吉田神社まで。
三条大橋からほど近い大将軍神社には樹齢800年のイチョウがあるのだが、社殿の中に植わっているので根元を見ることができなくて残念だった。鳥居近くの団地の掲示板に、御神酒の振舞札がずらりと貼られていた。個人名の他に「巽町十一棟」という札があるのを見つけて、この団地の自治会費には大将軍神社を支える費用が含まれているのか、彼らにとって大将軍神社は氏神様という位置付けになるのかな、などと想像を巡らせた。
大将軍神社から東山通りを横切り、古川町商店街に入った。かしわ屋さん(本かしわ・鳥寿)の店頭では、揚げたての唐揚げやコロッケがまさに並べられているところで、吸い寄せられてしまう。ショーケースの中は茶色ばかりなのに明らかに輝いていた。皮揚げとささみメンチカツを買い、白川疏水沿いをぶらぶら岡崎に向かった。お行儀が悪いけれど、皮揚げをつまみながらゆっくり歩いた。
平安神宮に近づくと、たまたま「平安楽市」(岡崎公園手づくり市)をやっていた。会場案内図を見てみると、200店舗以上が出店しているとのことだった。
誕生日の近い人たちの顔を思い浮かべながら、何かいいものがあればプレゼントに買おうとのんびり見てまわった。弟夫妻の出産祝いを渡せていなかったので、帽子屋さん(Ha10)でゾウ柄のチューリップハットを買ったり、チョコレート屋さん(damon亭)でチョコチャンククッキーを買って、とても満足した。出店ならではの対話ベースの買い物を満喫した。
余韻を味わいながら、路地を縫うように北上して吉田神社に到着した。とても楽しかった。
明日からの1週間もやってみる。
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<To Do>
・システマティック・レビュー:二次チェック中
・博論本文:
1月23日学位論文審査請求(学位論文提出)※製本版提出は2月27日
・投稿論文1:修正(11月30日〆切)
・投稿論文2:査読待ち