ひいちにちの終わり
その手紙は、末文だけが太文字だった。
花柄の便箋に女性らしい柔らかな文字で綴られた後ろにやや不釣り合いなマジック(太)で書いたと思われるその言葉は見慣れないものであった。
あなたに全ての良きことが雪崩のごとくおきます
一瞬、雪崩というフレーズに引っ張られすぎて「良きこと」に埋もれながらも首だけ出している姿、お笑いマンガ道場の冨永一郎の描く土管のイラストのような己を想像した私は多分疲れているのだと思う。
さる著名人の言葉だそうで、大雑把に言うと、周りの幸せを祈ることで全体が良き流れになり自分も皆も幸せになるという言葉らしい(違っていたらすみません、コメント頂いたら訂正します)
すれ違う人すれ違う人にその様に祈ると良いとのことである。
信じられないくらい世事に疎いので、私以外は全員知っている言葉なのかもしれない。
偏屈な割に単純なのでそれだけで良いことが起こるなら簡単で良いなぁと思い、恐るべきフットワークの軽さで、散歩に出かけたが、誰ともすれ違わないまま帰宅した。
夕暮れだけは綺麗であった。
空の桃色は雲の形をくっきりとさせながら、どこまでも果てしなく続いていった。
誰ともすれ違わないということに憤り、玄関で靴を雑に脱ぎちらかしながら、全く田舎はこれだからと軽く悪態をついて、すっかり本末転倒である。
我にかえり誰もいない家で、ひとまず祈る事くらいはしてみようかと試みたが、間違えて、雪崩が良いことのようにおきますようにと祈ってしまった。
今の無し、と誰ともなく呟きながら、案外簡単なようで難しいものだなと思った。
極力人とすれ違う場に出ないといけないし、言葉を理解して覚える必要もあり、運動不足解消や社交性の保持、ひいては脳の衰えを防ぐのには悪くなさそうだ。もしかしたら部屋を綺麗にすると運気が上がる、とか、早起きは三文の徳とかと同じなのではないだろうか。
家には誰もいないので、湯呑みや本棚や蜜柑などに向かって祈ってみる。
いつもは五月蝿く思う鴉も今日は一声も鳴かない。
本当にこの世で一人きりなのではと思うほどの静寂の中で電気ストーブに祈る私とは一体何なのだろう。
風呂が沸いた音がしたので、命拾いした様に心底ホッとして、さっさと脱衣所で裸になれば、バスタブの栓を閉め忘れていたことに気づく。
風邪をひくと祈る余裕も無くなりそうなので、再び服を着てストーブの前で温まる。
首下の寒気が取れて冷え切った足の先も緩んだころ、リビングのテーブルを見れば、冷めかけた茶の入った湯呑みがやけに寂しそうである。
洗って水を切って裏返せば、今度こそ風呂が沸いた音がする。
そういえば、新しい入浴剤があったと思いながら歩く足取りはいやに軽い。身体が温まっているからである。
起きます良きことが雪崩の様に皆に、と覚え切らないまま、倒置法で思いながら、ただ湯船に浸かる自分を想像している。