音楽の話:椎名林檎 「加爾基 精液 栗ノ花」
椎名林檎のアルバムといえば「無罪モラトリアム」や「勝訴ストリップ」あるいは最近の「三毒史」が人気であるが、私にとっては本作「加爾基 精液 栗ノ花」である。
カルキ・ザーメン・クリノハナと読むが、流石にフルネームで呼称するのが憚られるのか、略称の「KSK」か「カルキ」のみで呼ばれることが多い。
当時の私は「ザーメン」なんて言葉は聞いたことすらなく、クラスメイトの仲のいい男子の机に全く何も考えずに「カルキ・ザーメン・クリノハナ」と書き、性にお盛んな男子としてはアダルトな方面でしっかり把握していたためにめちゃくちゃ焦らせてしまうというとても罪なことをした。
なぜ彼がそんなに焦っていたのか全く分からなかったが、少ししてからようやくその理由に気づき悪いことをしたなあと思ったものである。
初めまして
椎名林檎に出会う前の私はオリコンTOP10みたいな曲やアーティストばかり聴いていた。別にそれが悪いこととは思わないし、当時聞いていた曲でいまだに好きな曲はたくさんある。
しかしエイベックスを中心に誰でも知っているポップでどメジャーな曲ばかり聴いていた私にとって、椎名林檎との出会いは衝撃だった。
彼女の曲を初めて聴いたのは「茎〜大名遊ビ編〜」である。
このシングルCDは以下の3曲が収録されている。
1 迷彩 ~戦後最大級ノ暴風雨圏内歌唱~
2 茎(STEM) ~大名遊ビ編~
3 意識 ~戦後最大級ノ暴風雨圏内歌唱~
特に2曲目の「茎(STEM) ~大名遊ビ編~」の虜になり、友情や恋愛ではない(というか何を言っているのか分からない)歌詞やオーケストラサウンド、「迷彩 ~戦後最大級ノ暴風雨圏内歌唱~」のジャジーなかっこよさ、「意識 ~戦後最大級ノ暴風雨圏内歌唱~」の可愛らしさと不気味さ、ジャケットや歌詞カードのデザイン、全てが新鮮で全てが驚きと共に私に突き刺さった。
その後、それらが収録されたアルバムである「加爾基 精液 栗ノ花」を買い、気が狂ったように聴き続け、友人にも貸し、さらにTSUTAYAのレンタルや中古コーナーを駆使して彼女のCDを聴きまくっていた。
驚いたところ
一つ目
本作で驚いた点はいくつかあるが、まずはシングルとアルバムのアレンジの違いっぷりである。
「迷彩」と「意識」は曲の前後のエクステンド箇所が大きな違いだが、「茎」に関しては英語詞から日本語詞になっているし、アレンジもシングルのオーケストラサウンドからSEのような打ち込みやベース音が目立つストリングス中心のヘヴィな音に変わり、さらに和楽器の要素が足されている。
元のテイストが完全に排除されたわけではないが、終盤の歪みまくったサウンドはシングルの方には見られない要素であり、もはや別物といっても過言ではない。
それまで聴いてきたアーティストのアルバムでもシングルで日本語詞だったのが英語詞になっていたりアレンジが若干違っていることはあったが、ここまでガラッと変わっていたことはなかった。
私が好きなアーティストはシングル→アルバムの変化よりもシングル・アルバム→リミックスアルバムの変化が著しかったため、アルバムは単に再録で十分だったのかもしれない。
ちなみにこの「茎」は紀里谷和明 監督の映画「CASSHERN」のサントラの一つとしても使われている。
紀里谷監督の「CASSHERN」も好きだ。
二つ目
サウンドの特殊っぷり。
本作の演奏者のクレジットを見れば分かるが、シタール、琴、パイプオルガン、三味線、ハープシコード、リコーダー、篠笛、アナウンスやメトロノーム、掃除機まで組み込まれている。
そして顕著に歪んだサウンド。
(同じ漢字同じ送り仮名で別の読み方をさせているので「ゆがみ」と読みたくなるが、この場合は「ひずみ」と読む。)
この「歪み」、椎名林檎の初期も初期からの特徴であり今となっては「椎名林檎っぽいシグネチャーサウンド」になってしまうが、椎名林檎に触れたばかりの頃の私にはとにかく馴染みがなかったし全てが格好よかった。
魅力は楽器のサウンドだけではない。
椎名林檎の声である。
最近は特定のボーカルを再現するAIなんかもあり、AI椎名林檎でカバーされた曲がちらほらと存在するが、そういう曲を聴くといかに彼女の声そのものに魅力があるのかが浮き彫りになると同時に、自分が思っていた以上に彼女の声を好ましいと感じていたことにびっくりしたりもする。
もちろん本人が歌っているようにはいかないが、めちゃくちゃ上手くいっている部分だけ聴かせられたら私ほどのファンであっても私程度の耳ではもはや区別がつかない。
しかし人間が真似るとなると話は別だ。
彼女の真似をするものまねの人はよくいるが、正直あんまり似てる人がいない。ファンゆえの判定の厳しさと思われるかもしれないが、似ているかどうかは聞き込んでいないとちゃんと気が付かないのでむしろファンの方が似ている部分に気がつく。
しかし彼女の真似をする人は(近年少なくなった巻き舌は言わずもがな)喉をしめて苦しそうな発声をしているだけの人が多い。
身も蓋もないことを言えば彼女はそもそもの声質が特殊で模倣するのがとても難しいのだと思う。
(これはポルノグラフィティのボーカルである昭仁のものまねにもいえることで、たしかにそういう喉をしめた声音の時もあるけど「ずっとそれじゃないだろうがよ」という気持ちになる。曲ちゃんと聴いてんのか?)
声質以外にも椎名林檎は音域の広さと低音のイケボっぷりが魅力だ。
彼女は地声で高い音域も出すが、低い音域もしっかり出る。
しかも低音がイケボ。(大切なことなので二度言いました)
声音が色々変わる点についても書きたいのだけど正直その辺は専門的な感じがして私には荷が重い。
こまごま
茎に出会う前にも彼女の曲は知っていた。
本能や幸福論は有名だったし、どこかで聴いたこともあっただろう。
しかし椎名林檎を明確に意識し、彼女の曲を目的に彼女の曲を聴いたのは茎が初めてだった。
アーティスト本人のビジュアルそのままドーン!みたいなジャケットが多かった中で、本作はまさかの焼き物ジャケである。
歌詞カードを開けばシンメトリーなタイトル一覧、難しい言葉遣いだらけの歌詞、見慣れぬフォント、ところどころに差し込まれる和な椎名林檎。
曲と曲が途切れずひと繋ぎになっている構成、44分44秒の収録時間、その終わりの荒れ狂った音。
本作にこれほどまでに心を奪われているのには多感な時期に出会ったことやノスタルジーもあるだろうが、だとしたらそんな時期にこのアルバムに出会わせてくれたことには感謝しかない。