今の自分をたのしむ好きになる
小学生の子の、学習発表会というものを見に行った。子どもらが、歌やダンスを織り交ぜたお芝居を舞台上で披露する。総じて笑顔でのびのびと、新しい命のエネルギーに満ち満ちた会だった。
舞台の中央で要の長台詞を堂々と放ち、大人顔負けのキレッキレダンスを披露する子もいれば、台詞を飛ばして隣の子に小突かれている子や、もじもじと縮こまってしまう子、やっつけ仕事のような演技を見せる子もいたりして、誰がいいとか悪いではなく、純粋に、私はその多彩さに胸を打たれた。
大人の目線で、親の目線で見ているから、どんな態度も微笑ましく思えるのだと言われれば確かにそうなのかも知れない。もしも自分が舞台上に立つのなら、演技もダンスも滞りなく、達者にこなせるに越したことはないと思うだろう。
でも今この瞬間の完璧じゃなさ、でこぼこした個性のひとつひとつが無性に尊く感じられて、思わず泣きたい気持ちになった。
もう一段階目線を上げれば、それはそのまま、自分たち大人にだって同じことが言えるはずなのだ。
こうして文章を書いていて、時々途方もない気持ちになる。私が書こうが書かまいが、すでに世界には素晴らしい物語が嫌というほど溢れているし、一体何になるんだろう。なんの意味があるんだろう。
だけど、思うようにやれない自分、思い描く理想には程遠い自分、どんな自分だって間違いなく世界に彩りを加えているのだとしたら、別に意味なんかなくたっていい。書きたいだけ書いたらいい。
誇れるような経歴も豊富な知識も際立つ文章力もない、完璧じゃない今の自分だからこそ書けるもの伝えられることだってほんの少しはあるはずで、今の自分をもっと堂々と楽しんだらいいし、好きになったらいいと思った。