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ははのぐちがつらいというぐち

そういう電話がくるたんび、もうほんとうに勘弁してくれよと思ってしまう。

もうなにも、背負わせてくれるなと思ってしまう。

それを聞いてあげられるのはわたししかいないのに、うわべだけでも上手に聞いてあげればいいのに、年々母は小さくなるのに、いつか後悔するかもなのに、やさしくできない自分がかなしい。

わたしの平穏は母の電話で唐突に断ち切られ、通話を終えてからも長い時間重たい気持ちを引きずっている。

無視した場合の罪悪感と不安のほうが深刻だから、電話に出ない選択肢はなかった。

ずっといい子だった。それがわたしの役どころだと勝手に思っていたから。ときに重たいくらいの愛情を受けてきたから。

家族間でトラブルが発生するたびわたしなりに心を砕いて、人知れず傷ついてきた。

これは強くなるための試練なんだと使い古された励ましを心の内で唱えて、だけど本音は強くなれなくたっていい、弱いままで全然いいから、ただ平穏が欲しかった。

だれも争わないでほしかった。しあわせでいてほしかった。

わかっている。親だってひとりの人間だから、完璧じゃなくて当然だから、

わたしだけが不幸ぶるつもりも被害者ぶるつもりもないけど、これまでのいろいろが頭をもたげてがっくり項垂れてしまう日もあるよ。

母がどんな苦労を背負っていたって、わたしにだって生活があって、背負うものがあって、感情的なひとりの人間だから、でもだから、突き放すこともできない。

だけども感謝するべきは、毎朝毎晩だれの機嫌も気にせず、何にも怯えずに過ごせる今が、どれほどしあわせかということに、

取るに足らない不満を並べ立て、嘆いてみせることの贅沢に、気づかせてくれたこと。

どうかみんなに、どうか平穏が訪れますように。

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