幸も不幸もぜんぶ自分で決めていい
一般的に見て、ネガティブなできごとに遭遇したとして、だけどそのことについてどう捉えるかは、ぜんぶ自分で決めていい。
例えば、とあるクリニックに通おうとしてそこで理不尽な対応を受け、自分を全否定されたような気持ちになってがっくり落ち込んで帰ったのだけれど、気を取り直して別のクリニックに出向いたら、こちらはとても感じが良くて、満足のいく治療を受けることができた。
もしも最初のクリニックが当たり障りのない対応だったら、わたしは二件目のクリニックと出逢えておらず、当たり障りのない治療を受けていただろう。だから今では、最初に理不尽な対応を受けたことが、ラッキーだったとさえ思う。
大なり小なり、誰にだってそういう経験はあると思う。
病気だったり離別だったり裏切りだったり、一見ネガティブなできごとも、何かを気づかせてくれるためなのかも知れない、未来のわたしにとっては必要なステップなのかも知れない、と考えれば、捉え方が変わってくる。
周囲からの同情や常識は関係ない。幸か不幸かはぜんぶ自分が決めていい。
いちいちに傷ついて悲観しがちなわたしだけれど、視野を広げて、上手くいかなさもたのしめる自分でありたい。