小説を書く

ドーモ、自作の小説を読み返すと割と楽しめる方です。ここで言う自作小説はほとんど二次創作カップリングもののことなのでまずは落ち着いてください。

某所に小説をたまにアップしているんですが、最古のものを見るともう「文章を読む前に笑っちゃう」んですよ。何がかというと閲覧画面における文章の密度。一文ごとに改行していってるもんだから横に伸びるタイプの棒グラフかな? と思っちゃってもう笑います。当然内容も改行ごとにぶつ切りになるので集中できない。気が散る。言ってることはわかるけどリズムで引っかかる。

これが何故かというと、三人称視点の地の文で書いていたからというのが大きいと思います。舞台をとらえつつもカメラがせわしなくてとりあえずあっちを見てみようか、何か見えたね、ちょっと補足するよ、じゃあ次こっち、とぎくしゃくツアーコンダクターな感じで「見せたいものを順番に見せる」ことさえできればいい。第三者だから雑感があまり入れられない。「自分」が空間やらシチュエーションやらに意味づけのペンキを塗っていくのがうまくいかなかったというか、むしろ性に合ってないけど一応やってみたって風情。

本当はぶつ切り文を繋げてつらつら書きにするだけでもだいぶカメラワークはスムーズになるし、ぎくしゃく語りがなめらかになる。

「実はそんなに語ることがなかったんだよな、導入としての情景説明だし」って心構えもでかいかもしれない。

以前はそんな有様だったのが少しずつマシになってきてるよねと自覚……自画自賛? してる今日この頃です。キャラクターの一人称視点地の文の気楽さにドハマりしたからですね。

一人称はとにかく楽です。カメラがキャラクターの目とほぼ同じだから行動と視界がリンクするし、思考はだだもれだからつらつら喋ってもいい。密度が増える。理解度が高まる。読んでても気持ちいい。ウヒョー!

ただし私の場合は描写できる範囲がキャラの視界に依存するので空気・空間を描くにはちょっとアレ。一人称キャラにとっての「目の前のこと(五感含む)」「キャラの内面のこと(言葉にしないことでもわかる)」「キャラの勝手な思い込み・思考の脱線」に対してはめちゃくちゃ強いんですけどね。

一人称視点地の文は実況中継のようなもので、読者の視点もそこに近づいていくので「感情移入しやすい」「読みやすい」などのお言葉をいただくこともあります。実はとてもうれしい感想なので何回言われてもヤッフフーイと飛び跳ねます。話の内容は二次創作カップリングなんですけどね。

これは個人のアレなんですが、小説を書くにあたってプロットとかギミックを考えることがほとんどなく、場の雰囲気などを自分好みに「持っていってあげる」ぐらいで後はキャラに任せてその言動をこっちが記録しているみたいな気持ちで書いてます。後で読み返して「よくこんな言い回し出てきたなあ(どうやってひねり出したかまったく覚えてない)」ということもままあります。そういう時は自分が他人みたいで楽しいです。

まあ「物語を描く」スキルがあるかどうかでいうと微妙なところですね。

文章は書けば書くほど上達するらしいですしどんどんやればいいんです。書く気にならないなら過去に書いたものを読んでニヤニヤすればいいんです。おかげでここのところ新しいものを書かずにニヤニヤばかりしています。読むのも飽きてきた! 書け! 私好みのものを一番うまく書けるのは私以外にいないんだから書けーッ!! ウオーッ!!