アドボカタス 『もういいかい?』
『送信履歴』毎回読み切りのスピンアウト ~readerのボランティア 2~
ワタシはreader。
読み上げる人。
訳あって、ボランティアでアドボカタスをしているの。
アドボカタスとは代弁する人。
ワタシなりの解釈では代筆ならぬ代述する人なのだけれども。
言いたいのに言えない人、伝えたいのに伝えられない人、届けたいのに届けられない人、そんな人って思いのほか、たくさんいるのよね。
私はそんな言葉にならない言葉を読み上げる。
一部上場のヒラとはいえ役員までのぼりつめ、62歳の役員定年で潔くボランティアの交通整理。もう何年も小学生が巣立っていくのを見守ってきた。
我が子ふたりもとうに巣立ち、それぞれが自分の道に誇りも出てきたようだし、家族も持った。
充分に社会への貢献と責任は果たしたかなあ、湯冷ましで淹れた玉露を注ぐと、これまでの人生みたいにちょろちょろと細く長い音をたてた。
人生は玉露ほど甘くはなかった。そりゃあイヤというほど耐えたもの。我慢して噛み締めて、傷ついて、考えて。それから口にする言葉を選りすぐり、話してきた。
甘い人生ではなかったけれど、黒い人生ではなかった。白いこれまでの生き方がわたしの誇りだ。
長生きが尽きるにはまだ少しありそうだが、したかったこと、やらなければならないことはこなしてきたような気がする。伝えなければならないことは物怖じせず口にしてきた。
「我が人生に悔いなし」、わたしが若いころよく耳にした決意表明だ。当時わたしには恥ずかしくて引用できなかったセンテンスだが、決意表明していた連中は今のわたしよりはるかに歳下だった。その若さでよくもまあ、あんな恥ずかしいことを真顔で口にできるものだと思っていたものだった。
人には厳しい目を向けても、自分では密かに後悔しない生き方を選んできた。生き方はむやみに口にすべきではない。
無言実行。
べらべらと喋ってしまっては、意義が軽くなる。
一昨年に写真たてに納まってしまった妻は今でも「背伸びしなくたって充分ですよ」と語りかけてくる。
贅沢に蓋をしてきたわけではなかった。美味しいものでも食べに行かないかと誘っても、家庭料理が好きなわたしを気遣って、妻はいつだって先まわり。わたしに合わせてくれていた。たまには高級な洋食に連れて行ってやると意気込んだこともあった。だがいざ黒服蝶ネクタイのボーイを目にすると、料理や料金にではなく、敷居の高さに唾を飲んだ。
ごくん、その覚悟に気遣ったわけでもないだろうが決まって妻は「背伸びしなくたって充分ですよ」と袖を引き、率先して家庭料理の暖簾をくぐった。
もういいかい? もういいよ。
隠れ追いかけ日が暮れて、追われる者が親に手を引かれて帰っても、わたしは最後まで残ったものだった。
もういいかい?
写真の妻は答えてくれなかった。
読み終えるのが惜しい小説があるように、食べ終わりたくない食事があるように、消えるのが惜しいと思える時間がある。
でも、もうそろそろいいんじゃないか?
男は口にも表情にも出さなかったけど、readerには男の気持ちがぐわんぐわんと揺れていることが読み取れた。それに男は病状の進行具合も把握している。そんなこんながreaderの中で渦を巻いた。
readerには「もういいよ」とはどうしても言えない。