アドボカタス 『言えるわけないじゃない』
『送信履歴』毎回読み切りのスピンアウト ~readerのボランティア 8~
ジュリ物語1
ワタシはreader。
読み上げる人。
訳あって、ボランティアでアドボカタスをしているの。
アドボカタスとは代弁する人。
ワタシなりの解釈では代筆ならぬ代述する人なのだけれども。
言いたいのに言えない人、伝えたいのに伝えられない人、届けたいのに届けられない人、そんな人って思いのほか、たくさんいるのよね。
私はそんな言葉にならない言葉を読み上げる。
男の子と一緒に立ってしたらパンツがびしょびしょになっちゃった。小学生に上がったばかりのころだわよ。
カウンターの向こうからこちら側のストゥールに移り、長めのスカートで自慢の脚を覆いながら左足をストゥールに乗せ、膝を抱えたジュリが気怠るそうに言った。
アールデコ調のゆるい光でも艶めかしくも発色のいいアイシャドーがやけに目についた。ジュリがいきなりバグラーを口にするものだから、視線を奪われた。その衝撃で、まさに彼女の目に釘づけにされたわけだ。
ジュリはスレンダーな長身をロングのスカートと黒のタンクトップ、その上にスパンコールが散りばめられたタイトなジャケットで覆っている。
彼女の身体がストゥールの上で揺れるたびに、いくつかのスパンコールがランプの明かりを拾っては流れていった。
沈黙が、ふたりの息づかいを拾っている。遮るように、ラフロイグの氷がグラスの中で音をたてた。
「ねえ」とジュリは言った。「今日のお客さんはあなただけ」
今日に限らず、僕がこの店に来るときは決まって客は僕ひとりしかいない。ほかに客がいたためしがない。
どんな話をしても、何をしても、ふたりだけの秘密。
突然彼女は「だから」と言ってから言葉を切った。
それから重い石でもどけるように、アンニュイな顔に笑いを浮かべてみせた。もともとが気怠い表情だったから、笑顔も重い。
僕はジュリの続きを待った。少し待っても続きがなかったから、もう少し待つことにした。
ふたりの間に息づかいが行き来する。間に、氷は解けてくれなかった。ジュリは、合図を待っていたのかもしれない。たとえば、氷が溶けたら口火を切る、といったような。
氷が音をたててくれなかっただけではない。電話も鳴らなかったし、時刻を告げる鳩も合間の休憩に入っていた。
ふたりの間の息づかいがジュリの表情に押されてアンニュイに染まり始める。
彼女も同じように感じたのだろう、沈みかけた空気を追い払うように「そうそう」とぱっと明るく言い放つ。それは、ふれてはならなかったものに手を伸ばしたけれど、やっぱりやめた、といった具合の切り替え方のようでもあった。
だからね、その時、ひどいことを言われたのよ。一緒にいた男の子に。だって、こっちはパンツがびしょびしょなんだよ。正確にどんなふうに罵られたのか覚えちゃいない。だって、もう20年も前のことだわよ。でも、ひどい言われようだったってことはしっかりとオツムに刻まれてる。「そんな言い方しなくたっていいじゃんかぁ。今さら責められったって仕方ないじゃないじゃん」って言ってやったわ。あの時は立っておしっこしてみたくなっちゃって。しちゃったあとのことなんか考えてなかった。
僕のぼそっと言ったのを、ジュリは聞き逃さなかった。
そそのかされやすいって、その言い方、アタイがまるでオツムが弱い子みたいじゃんか。
ねえあんた、言っとくけど女はみんな貴方様の思うような淑女乙女ばかりじゃなくってよ。トイレもすれば、こっちから誘惑したりもする。
アタイだって、欲しくなることくらいある。しようよって誘うことあるもの。ちょうだいってねだることもある。
言ってることは過激で挑発的だったけれども、言い方は制御的で色香を抑え込んでいる。艶っぽい姿勢とは裏腹な表現が生むギャップ、そのちぐはぐ具合が理性を刺激し、男の本能を喚起させないのだろう。
僕の思いをよそに、彼女は話し続けている。
とびっきり甘えてみせることもある。長めのスカートを腿までまくりあげて、ブラの肩紐落として、とろけたマナコとはだけた肢体でしなだれて。存分に見せつけてやるの。
とどめは、股間ギリギリのところに指をあててつーって。これでボッキしない男はいないよ。
さわるまでもない。荒くなった鼻息と張ったテントがもうアタイを抱きたいと叫んでる。
男はさわってほしいんだ。だから少し焦らせてから、ぎゅーって握ってあげる。
ひって悲鳴あげるくらい強く思い切り。
アタイも準備はできてる。
でも、すぐはダメ。いや、すぐにでもいいんだけど、やっぱりすぐはダメ。
安っぽい女と思われたくはないからね。
そう言ってジュリは目を落とした。床に落ちた目は、床の下に埋めてしまったかつての愛を追っていたのだろうか。
それとね、とジュリは続けた。誰でもいいわけじゃないんだ。
ま、守備範囲は広いけど。
そこまで言って目を僕に戻した彼女は、ばつの悪さを唇の端に浮かべてから、がはは、と笑ってみせた。
readerは女の心を読んでいる。
ほんとは好きと言いたいのに、言って実る恋じゃない。
女の人は「このシチュエーション、まるで場末の演歌だわ」と心の中で思ってる。
演歌はこの時代、表舞台から姿を消した。でも、夜の女たちは今も昔と変わりなく、惚れた男に見栄を張る。「アタイみたいな女とつきあっちゃいけないのさ」
悲恋は物語になるから美しい。
でも、たまにはハッピーエンドになってもいいじゃない。
readerはたまに女の心を男に読み聴かせることがある。
「抱かれりゃ情も深くなる」、そんな女の思いに秘められた裏事情に応えられる男になら。
「煙草の火」と僕は言った。
なに? とジュリが首を伸ばし、カウンター越しにシンクを覗き込む。
消し損ねた煙草が時間をかけて再燃し始めていた。
「やばっ、火事になっちゃう」
ジュリはストゥールからカウンターの向こうにひらりまわりこみ、いさんで消化にとりかかる。
ジュリは煙草を吸わない。
僕も吸わない。
僕が来る前に誰かが吸っていた吸い殻であることは明らかだった。
僕がこの店を訪ねる時、決まって客がいなかったわけじゃない。
「今日、あいてる?」、そう訊く僕の電話を受けて、ジュリがそのようにしていたのだ。
readerは「今じゃない。期が熟すのを待とう」と密かに決めた。
この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。