異次元の世界
その方の事がずっと気になっていました。
その方は親戚でも何でもないのですが、小さい頃母に連れられて何度か遊びに行ったことがあります。
その家の裏庭には小さな池があり、コイが泳いでいました。
その方はいつも和服姿で、少しだけ襟を抜き、上品に、きれいに着こなしをしている方でした。やせ形で、背筋がピンと伸びていて、薄くお化粧しているのですが色白で、子供心に「違う世界の人」みたいと思っていました。
炉にかけた鉄瓶にはいつもお湯が沸いていて、お茶の好きな母のために
お茶を点ててくれます。
棗から抹茶を掬い茶碗に入れ、柄杓ですくったお湯を入れて茶筅でシャカシャカ。胸元には何時も懐紙が入っていました。子供の私にお菓子を出してくれる時は、懐紙の上にそっとおいて出してくれます。
普通におしゃべりしながら、慣れた手つきで点ててくれていました。我々一般庶民は、日常の中で抹茶を点てるなんてことはありませんでしたから、母は「おいしい」と言って飲んでいました。
その方の事が気にかかっていたのですが、小さいときの事で断片的な記憶しかないため、「どういう方だったの?」と姉妹会の時に姉たちに聞いてみました。
明治35年頃の生まれで、盛岡の女学校を卒業している。
その頃は、女学校卒業時には皆、嫁ぎ先が決まって卒業したらしい。
(この点については実際の事はよくわからない)
その方は東京のお医者さん(軍医)に嫁いだが、旦那様と死別した後岩手に戻ってきて生活していた。
どういう経緯で母と知り合いになったのかはよくわからないままですが、
住む場所を追われたその方に、母は小さな家を建ててあげたらしいのです。
エピソードその1
「大奥」に出てくる女性たちは、裾の長い着物をきています。
「お引き摺り」といって、上流階級のご婦人たちが着ていた着物の着方ですが、私の気になったその方も、東京で暮らしているときは「お引き摺り」をしていたそうです。身分の高い家だったんだろうと想像がつきます。
自分が「お引き摺り」しているところを想像してみました。
無理~!!
すぐに脱ぎ捨て、襦袢の裾を端折って乗馬でもしそうです(笑)
エピソードその2
その方が白内障の手術をすることになり、母が付き添いを頼まれたときの事です。
術後何日目かは定かではないのですが、その方をトイレに案内したようです。待っていてもなかなか戻ってこないため心配になり、トイレに行き、(ノックして少し戸を開けたと母は言っていましたが)、「奥様大丈夫ですか?」と声をかけた。その時の第一声が「無礼者!」だったといいます。なるほどねー。
エピソードその3
その方の息子さんが亡くなったときの事。
息子さんに会うため東京に行ったのですが、葬儀にも出席せずそのまま戻ってこられたそうです。私の母はいたたまれず、「奥様、葬儀にも出席しないでどうされましたか?」と、批判めいたことを言ったようです。
後にその方は理由を説明してくださったようです。
「息子の葬儀には(今でいえば)総理大臣クラスの方がたくさん来るんですよ。私の身につけているこの着物や草履では出席できないのよ」って。
そういう世界もあるんですね~。
エピソードその4
その方も年を取り、施設に入って最期を迎えられたのですが、亡くなる少し前、姉がお見舞いに行ったときには、
「みっちゃん(姉はこう呼ばれてた)、そこに私の懐剣があると思うから取って頂戴」と姉は言われたといいます。
昔とは言え、施設入所の時点で懐剣(刃物)は施設預かりとなっていたとは思いますが、護身用の短剣で、誇り高く自害しようと考えたのか、いつも身につけているものを思い出したのか、その辺はよくわからないままです。
そんなことを姉たちから聞いて、妙に納得した私です。
やはり小さい頃に思っていたとおり「違う世界の人」だったなと思います。
そんな世界もあるんですね
身近にそんな方がいたこと、数々のエピソード、優しい笑顔、忘れられません。それなりに苦労もあったんだろうと思われます。
私は、普通の家庭で育ち、両親の働く姿を見ながらこれたこと、
親しい人の葬儀に普通に出席しお別れできること、
つくづく嬉しいなと思いました。
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