植物を枯らしてしまう人へ
昔から、わたしの元に来た植物は育たなかった。
小学生の頃に枯らしたサボテンの数は十を超え、
一人暮らしを始め、食用も兼ねて購入したハーブは一週間でぐったりし、そのまま息絶えた。
今度こそと奮発して購入した大きめの観葉植物は、初心者でも育てやすいといわれるパキラだったが、ひと月ともたなかった。
水をやり忘れたことはない。
なのに、枯れる。
植物界では我が家をブラック企業と呼んでるに違いない。
そんなわたしだが、なんと今、鉢植えをふたつ、二年を超えて生きながらえさせている。
ひとつは水溶栽培のパキラ、もうひとつはポトス。
いずれも初心者向け植物の筆頭ではあるが、サボテンすら枯らしてきた経歴からすると奇跡である。
今年、三度目の春を迎え、また新しい芽が出始めている。
おお、まだ生命が在る、と思う。
そして今なら解るのだ。なぜ今まで数々の植物を枯らして来たのかを。
ひとことで言うなら、愛が足りなかった。
実に陳腐に聞こえる言葉だが、真実だと思う。
わたしはそれらを、命ではなくモノとして扱っていたのだ。
サボテンは雑貨、ハーブは食材、パキラはインテリア。
生命として扱うことを忘れていた。
なぜここ二年でそれが変わったのかというと、コロナ禍により家で過ごす時間が増え、自ずと植物を観察するようになったからだ。
芽が出てきたことに気づて「おっ」となったり、水やりのタイミングを葉の張り具合で確かめたり、日当たりが悪ければ移動させたりと、いわば植物と対話する時間が増えた。
それからだ。彼らは生き続けている。
物言わぬ生き物だ、確証はない。
ましてや愛の多寡など、非科学千万。
そう思う。
だけどそれしか思い当たらない。
とりあえず、植物を育てられる人間になれたことがただ嬉しい。
かくして、昔から憧れていた、植物に囲まれた生活を手に入れるべく三つ目の鉢に手を出すが、しかしこれがなかなか育たない。
わたしが今持ち合わせている愛は、鉢植え二つ分ということだ。
自分の中の愛の総量を増やすべく、日々精進しようと思っている。
おわり