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~してくれない悩み
私は子どもが「食べてくれないこと」に悩んだことがない。
食べない子どももいたけれど、悩みにはならなかった。
私は、子どもの離乳食から現在のご飯まで十年以上作ってきた。
子どもの数も多いため、ものすごい量を毎日作っている。
給食のおばちゃん、とまではいかないけれど、
それでもすごい量である。
食べることは、昔から大好きで(主星が鳳閣星)
作ることも嫌いじゃない。
好きか、と聞かれるとめちゃくちゃ好きだというわけでもないので、
嫌いじゃないという表現に留めておく。
自分が食べることが好きだけれど、
それを強要するということはしない。
というか、していない。
私は、読書も大好きだし、本も沢山家にあって、
友人が遊びにきても驚かれる量だけれど、
だからといって、子どもに強要しない。
私は、本を読みなさいと言われたことは一度もない。
むしろ、そんなに本を読んでどうするんだ、と言われたことは何度もある。
もちろん、子どもが本を沢山読んでくれるようになることは嬉しい。
そして、読書好きになってくれるのなら嬉しい。
けれど、読書を強要して本を読むようになるとは到底思えない。
本を読んでくれないことよりも、本を嫌いになることの方が私にとっては嫌なことだった。
冒頭に戻ると、ご飯を食べないからといってそれがイコール嫌いとは違うと思うのだ。
折角作ったご飯を食べてくれないというのが悩みだと思うけれど、
試行錯誤して何とか作って、それでも食べてくれない辛さ・・・
というところに戻ると、
どうにかこうにか、試行錯誤して読書をさせようなんて思わない。
読書と食べ物は違うだろうという指摘がありそうだが、問題に見える根本は同じことなのだ。
人のことは、どこまでいってもどうにもコントロールできない。
折角作ろうが、手間暇をかけようが、かけまいが、
そういうことはきっとお構いなしなのだ。
大学の恩師に言われた言葉で、
「応援はしているけど、期待はしていない。」
というセリフがある。
当時は、ものすごく衝撃で、落ち込んだ。
期待されていないと知って、辛かった。
でも、月日が流れて今思うのが、期待しないってすごく大切だ。
コントロールできないことは、さっさと手放してしまう方が良い。
コントロールしようとするから苦しくなるのだ。
自分がざわざわする思いがあったら、その部分に丁寧に向き合っていこう。
「どうしてざわざわするのか?」
「何が不安だと思うのか?」
そういう問いを重ねていくと、目の前に起こる現実と、違う側面が見えてくる。
行き場のない感情・思い込み・感覚など、今まで抑え込んできたものが、現実を通して見せてくれているだけなのだ。
お金・人間関係・仕事・夫婦関係・子育てなど、根本は自分の思いと直結している。
ざわざわする出来事に出会ったら、手放す課題のステージにやってきたという合図。
自分にとことん、優しくしていこうではないか。