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〇〇な人、の正体

「人の不幸は蜜の味」
いいや、自分はそんなこと決して思わない。と言いたいけれど、ゴシップ記事を読んで面白がってしまう時がある。
上手くいっている人をちょっと妬んでしまう時もある。

根が意地悪なのだろうか。
やっぱり性格が悪いのか。
でも、いつも人の不幸を望んでいるわけでもない。
人のことを心配したり、考えるより先に助けにいってしまうこともあるし
人が幸せそうにしているのを見てとてもとても嬉しい気持ちになることもたくさんある。

意地悪な人と心の優しい人がいるのではなくて、優しくなれない日と優しくできる日がある。
その頻度とか振れ幅とか、そこから生まれる言動が「その人っぽさ」なのだと思う。

これはよく言うメンタルの強い、弱い、にも同じことが言えると思っている。

それは単純な日替わりメニューではなくて、数値で表せるものでもなく
グラデーションのような感じ。
自分に余裕があって満たされている時は
ほんわかした桜色。
そんな心でいると色々なことが好循環になるから、大抵次の日も似通った色。
水彩画で描いたたんぽぽみたいな淡い黄色や、春の日の晴れ空のような水色。

でもそれは些細な刺激で揺らいでいく。
朝起きて曇り空にしとしと雨だったら、それまで保っていた淡い色はすぐに灰色がかってしまう。そこで可愛い傘を刺したらまた明るい色になるかもしれないし、車道から飛んできた泥水で服が汚れたらさっきより濃い濃い灰色になるかもしれない。

そうやって日々移り変わるものだから
放っておくとコロコロ変わってしまう。
子供はこれが許されるけれど、大人になるほど許されなくなる。
許されないというか、集団の中で生きていきづらい。

だからみんな、必要な色を自然と、自分で補給している。
あーー色が黒ずんできたなぁと(無意識にでも)思ったら
ちょっと高級な入浴剤を使ってみたり。
自炊をおやすみして好きなレストランで食事をしたり。そうやって、ピンクとか白とか、必要な色を足して調節していく。

だんだん自分に必要な色が分かってくると
これは濃いピンク、これはちょっと薄いピンク、みたいな感じでさらに細分化していける。
ジョギングは濃いピンク、お散歩は薄ピンク、泣ける映画はもっと薄いピンク、アクション映画は赤っぽいピンク、みたいに
本当にその時必要なものが自分で選択できるようになってくる。
こういう、色をたくさんもっている状態を「大人」だと私は思っている。

でも、ある一点を越えると、いつものように自分で色を足しても理想状態を作れなくなる。
その一点は人によっては真っ黒だったり、薄紫だったり、他人から見たら明るいピンクで全然問題無さそうな色だったりと、人によって違うけれど、でもとにかくその境目を超えてしまうと自分で戻すのが難しい。
これがメンタルを崩してしまっている状態。
そして大抵、初めてそうなってしまった時にはそれに気づくことができない。
すると今まで色づいていた世界が無色になって希望の光が消えてしまう。

あれ、、、ジョギングしてもダメだ、、
好きな漫画を読んでみてもダメ、、、会いたい人に会ってみたけどなんか違うし、好きだったはずのチョコレートも味がしない、、。
ずっと心が重たくて、、何をしても心が全く反応しない、、ずっと、ずっと灰色、、。
私はもうこの先、何にも感動できないかもしれない。
こんなにしてもらっているのに喜べないなんて、なんて傲慢なんだろう。
あぁ、学校に行かなきゃいけないのに、仕事をしないといけないのに、、。みんな大変なのは同じなのに怠けている自分は最低だ。でも体が動かない、、。

そうやって希望が無くなり、理由が分からないから自分を責め始めるという負のループ。
こうなると日常生活を送るのが難しくなってしまうこともある。

人は自分が思っているほど強くない。
そして多分、自力で色を調整できなくなる境目は自分の意思とは関係なく決まっている。生まれつきの特性や性格と同じものだと思う。

だから、ひどく落ち込んで立ち直れなくなっていたり、心を病んでしまった人を
弱いやつ、とか、なんでそれくらいで、と非難することはできない。
自分にもどこかに必ずその境目はあって、そこを超えたらきっと、同じようになってしまうから。

は?何この人。と嫌悪感を覚える人も同じ。
なんか今日の自分、嫌なやつだなって感じる自分も同じ。
そういう時は多分、心に理想からかけ離れた色を被ってしまっていたり、あるいは染みついて取れなくなって、さっきの負のループに陥っているのかもしれない。

だからそういう時は、嫌なやつだと人格を否定するのではなくて
相手や自分の心の色を想像してみる。
あの人は、私は、どんな色の心でいる時に満たされていて、今は何色が足りていないのか。

もしその色を自分で作れないなら、注いでもらえば良いし、相手が作れていなさそうなら注いであげる。
そうやって、みんなが自分の作りたい色や周囲の人間の作りたい色を守っていけたらいいなぁ。綺麗事かなぁ。

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