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答えは見えません😵‍💫

発達支援の仕事をしているけれど

自分も発達の特性強くてミスが多くて
頑張っても対策を重ねてもどうしてもミスしてしまうこともある。
その度に自分はなんてだめなんだろうって自分を責めるけれど。
まさにこの事実が、私自身が「人それぞれの苦手」を脳の問題としてではなく、その人のパーソナリティによるものだと心のどこかで思ってしまっている証拠なのだと思う。

耳が聞こえない人に「なんでちゃんと聞けないの?」と言う人を私はあまり見たことがない。

だけど、多くの人にとって当たり前に出来ることが少し苦手な人が
「ちゃんとして」
「なんでこんな当たり前のことも出来ないの?」
と責められているのはよく目にする。

たまに調子が良いと出来てしまうようなことが100発100中では出来ないというのが特性なのに、それをサボってるとか怠けているとか甘えだとか、その人のパーソナリティを理由にしても何も解決しない。

迷惑をかけているのは承知だけど、なんで出来ないのかなんて自分でも分からない、というのが本音なのではないかと思う。
なんで出来ないの?なんて、物心ついた時から一番自分が自分自身に繰り返し問いかけてきた言葉だから。
頑張って出来るものならとっくにやってる。
迷惑なんてかけたくない。周りが自分のせいで困っている顔を見るのは悲しい。こんなに自分を責めたくない。
でもどうしても出来ないから困ってる。もう頑張り方が分からないから苦しんでる。
そういう人が多いように思う。

特性を変えるのは難しい。
だから、それが社会で生活する上で本人や周りの負担にならない工夫をする。毎週毎週一緒にトレーニングをして、一つずつ工夫の手立てを獲得していく。
出来ないなら出来る仕組みを考えれば良い。
確かにそうなのだけど、本当にこれで問題は解決するのだろうか。

特性との付き合い方を教えることは本当に子供たちの未来の幸せを守ることに繋がっているのだろうか。
自分の出来なさに悲しくなったり
同じように特性が強くて上手く出来ないことで自分を責めている人を見ると
考えてしまう。

かといってどうしたら良いかも分からない。ずっとずっとモヤモヤしながら、でも何もせずにはいられないから、明日も授業をする。
自分に絶望して、この世に絶望して、沼から這い上がる方法が見つからずにもがくのをやめてしまう人が、少しでも減ってほしい。

今日はTwitterを見ていて、色々と考えさせられた。

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