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【#5】カウンセラーさんに「よく自殺しなかったね」ってほめられました
ごきげんよう! 紺先生です。
みなさんはアロマオイル使いますか?
私はよく使います。
特に好きな香りはオレンジスイートとラベンダー。
それからジャスミン。
よかったら、みなさんのお気に入りのアロマをコメントでシェアしてくださいね。
さて、それでは今日もいってみましょう!
【きょうのお題】
お題はいしかわゆきさんの「書く習慣」巻末からお借りしています!
5日目のお題は「昔はどんな子どもだったのか」。
これ……読んで楽しいか?(真顔)
まあ、じゃあ幼少期から順に書いていくよ。
今日の記事は長くなるし、内容も重いから、無理しないでね。
・幼少期(3~5歳)
泣き虫いじめられっ子。
遺伝により、3歳でメガネっ子に。
保育園に通ってたんだけど、メガネが受け入れられなかったみたいで、男の子たちにいじめられてた。
助けてもらった記憶はない。
母は常に怒ってばかりの人だった。
そしてその原因はいつも理不尽なことばかりだった。
・小学生(6~12歳)
コミュ障陰キャ。
社会性がまったく育たず自己肯定感もドン底状態。
友だちはいたんだけど、たぶん裏では嫌われてた。
班組みすると必ず余るタイプ。
その代わり先生とは仲が良かった。
3年生のとき、母が脳卒中で倒れる。
5年生のとき、母が亡くなり、父が仕事に行かなくなった。
それにより当時住んでいた社宅を追い出されることになり、姉夫婦の家へ引き取られる。
6年生から違う学校へ通うも、初手のあいさつでダダ滑りし友だちづくりは難航。
・中学生(13~15歳)
姉夫婦の毒素に染まる。
姉夫婦って、いわゆるDQNで、常識を学んでこられなかったんだよね。
だから一緒に住んでるとどうしても影響を受けちゃって、本人たちほどではないけどやっぱりおかしい部分はあったんだと思う。
これは母もだったんだけど、「叱る」んじゃなくて「怒る」だけなんだよ。
私のことを考えて、教え諭してくれるんじゃなくて、ただ自分が気に入らないから怒鳴り散らす、暴力をふるう、家から閉め出す。
昨日はよかったことが今日はダメだったり、何かをしても、しなくても怒られる。
なのに家事も姉夫婦の子の育児も当時中学生だった私に丸投げ。このせいで部活もろくにできなくて辞めた。
もちろん、感謝の言葉なんてあるわけがない。
こんな生活続けてたら壊れちゃうよね。
実際、うつだったんだと思う。
体重が10㎏減ったし、死にたいとばかり考えてた。
将来の夢が「死ぬこと」だった。
学校も休みがちになった。
でも、誰も助けてくれなかった。
死にたかったけど、怖くて死ねなかった。
・高校生(16~18歳)
ワープロ部に打ち込む。
姉夫婦の子が保育園に入ったので私にも少し時間ができた。
商業高校だったので、資格取得と部活に打ち込んだ。
大学に行けるとは思わなかったから、働く前提だった。
でもうつ状態も続いてたから、たびたび不登校になり、とうとう出席日数がヤバくなった。
もちろん保護者である姉にも話は行くんだけど、まともに人の話を聞くことができない姉は「かわいそうな私語り」で先生を懐柔してしまうのだった。
そうして私のうつは増大していった。―――
★★★
我ながら救いがねえ……!
実はこれ、会社に入ってからも続くんですよ。
正式に病名がつくのは、これから13年後。
それまでずっといじめられてました。
そんななか、ルル(猫)を保護したり、家を出て一人暮らしを始めたりして徐々に毒素が抜けていき、自分なりに自分の味方でいようと決めたり、生き方を改めていきました。
そして今、通院しながらではありますが、なんとか「幸せ」と思える人生を歩めています。
これまでの人生、たくさんの心無い言葉を浴びてきました。
誰一人、私の話を聞いてはくれませんでした。
だから私は、言葉を大切にするのです。
言葉が使い方次第で致命的な凶器になることを知っているから。
だから私は、人の話を聴ける人になりたいのです。
それで救われる人が必ずいるから。
今では母も姉も、私の大事な反面教師です。
許せはしない、許しはしないけれど、今の私があるのは二人のおかげ。
あなたたちを踏み台にして私は、素晴らしい人間になります。
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