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ヨガ 体の中の流れに耳をすます

ヨガ、ずいぶん前から体で感じていたことの答えが、ここにあるのかもしれない。

本を読んで、ヨガの簡単な立つ姿勢と座る姿勢を、自分で少しやってみた。

前にも、こんな感じがあった。
そう、それは足が麻痺し始めた頃のこと。何ヵ月もの間、毎週病院に検査に通ったけれど異常が見つからず、途方に暮れていた頃だった。
夜中に眠れず、真っ暗な机の前で椅子に座っていた。目をつぶって体を順に意識していった時に、足がなかった。足が感じられなかった。それで、しばらく泣いた。
それから、気持ちを足に向かっておろしていくと、温かい感覚が足に伝わっていった。何の根拠もなかったが、治る気がした。手をかざすと、温かいものが感じられて、何かの力が足に通う感じがした。


それから水の中にいる時に感じるやわらかい感覚。日によって違う泳ぎ。
それはたぶん、気持ちと体の状態が違うから。
やわらかく水になじめる感じに至るやり方がわからなくて、いろいろやってみていた。それは、しばらく泳いでからの方がよく、ストレッチをした後の方がよいようだった。体を温めるのが効果があるような気もしたが、必ずしもそうでもなかった。
たぶん、緊張や気持ちの乱れで、体がアンバランスに、硬くなっているのだと思う。そんな状態は、伸ばしても変わらなかった。

そう、何か気のようなものが、体を通り、貫く必要があるのではないか。

今日、プールサイドで「座る」姿勢をとって、気持ちを整えてみた。そのあと泳ぐと、足の位置が高く水面近くになり、水をやわらかく感じた。体が前に進んだ。


具合が悪くなった時には、何かが体の中で滞っている感じがしていたのを思い出す。そう、何かが流れなければいけないのではないか。

うすうす感じていた感覚について、ヨガは言っているのかもしれない。


最初に手に取って読んだヨガの本はこれだった。

●『瞑想ヨガ 魂のやすらぎ』ワスデーヴァ・ナイア・アイアンカー
 ヨガの歴史をモヘンジョダロまでさかのぼり、その後の各宗教の始祖の体験の共通性を細かく記述している。著者はインドの名家アイアンカー家の末裔であり、代々伝わるヨガの秘儀の導入部を、長老の許可を得て導入部だけ初めて公開したという本。本人は日本では京都大学博士課程を修了し、真言宗の僧侶としての得度を受け、伝法灌頂を受けた阿闍梨であると書かれている。阿闍梨というのは仏教上の位を指す言葉だと思う。
 各宗教の教祖が地理的にも近い所で会っていて、インドでヨガに触れているというが興味深かったが、それぞれの宗教の経典の詳細を知らないので、詳細を正確に読み取ることは難しかった。ヨガは宗教上の行為と明確に位置付けられていて、ヨガの導入のポーズをとる際には自らの信仰の文言を唱えることとなっている。


宗教を帯びた意味は別にして、体の仕組みが一定の条件と一定の思考と状態によって、通常意識されない経路をエネルギーに近いものが流れるということはあり得るだろうなと思う。

西洋医学で説明されていない体のメカニズムがあり、それを言い当てているものが、ヨガをはじめとする瞑想や心身の動きの中にあると考えられる。ヨガでは、体の要となる点をチャクラと呼び、それらを通るエネルギーをプラーナと呼ぶ。

簡単に言うと、ヨガでは身体を三重構造としてとらえていて、第一を生理的肉体、第二を無自覚な心の作用と一体となった主体的存在、第三が宇宙の気が出入りする構造ととらえる。第三の構造はインドのアユール・ヴェーダと中国医学のみがとらえているものである。密教では梵我一如の達成と即身成仏の成就はこの第三の構造を用いていて、我々の心眼を悟りの境地に到達させると考えられているようである。
仏教の修行というのは何か辛いものを想像するが、実はヨガで得られるような恍惚の境地であり、快があるから進められ、快があるから秘密ともされてきたのではないか。そしてその状態は通常の思考を超えるような何かが見えるのではないかと想像される。

ヨガを通じて、
私の体に耳をすましてみよう。
体の中の流れを感じてみよう。
探していたものがそこにある気がする。


しかし…最初に手に取った本がずいぶんとマニアックだったのが、なんだか可笑しい。

次はもう少しやさしい、おしゃれなヨガの本を読んでみよう。

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文 Ⓒ2019 青海 陽



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青海 陽
読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀