【ふわっとエッセイ】創作の意味

「夜のクラゲは泳げない」「数分間のエールを」とクリエイター気質の強いアニメをいくつか見て、今は結構ハマっている。

「トラペジウム」「響け!ユーフォニアム」「ガールズバンドクライ」もだけど、現実世界を舞台にした作品ってわりと「取り組む意味」みたいなのをよくフィーチャーしている。

よくあるテーマながら作品ごと、キャラクターごとにさまざまな解釈があってどれも共感できたり、できなかったりする。4月以降の作品だらけだけど、あげた作品は全部かなり好きです。

作品では明示される

作る意味とかやることの意味って、作品だと結果的に「これを目標に…」「これのために作る」というのが明示されるわけだけど、現実的にそんなことってほとんどない。

なんとなく描きたいから描いて、作りたいから作って、吹きたいから吹いて、歌いたいから歌う。意味なんてなくてもいいけど、作品には落とし込むのがかなり難しいからアニメやマンガにはならない。

アニメなどを見て創作のモチベを貰えればいいけど、何かをやることに「意味がないとダメなのかな」という負の側面もある気がしている。

ので、こんな世界の中、作りたいという衝動だけで作りながらも悩む「数分間のエールを」はとても好みだった。

好きならやってみよう精神

才能ってあるかないか定量的にはわからないし、そもそも継続したかどうかで大きく変わってしまう。少しやってみて芽が出なくてやめてしまう…のはまぁ別にいい。飽きるのは普通にあることなので。

好きだからやってるけど、世界の上澄みを見て嫌気が指すのだけはもったいないなという感情。

仕事にしなくたって趣味でへらへらやればいい。何かをやることについて、ネットでの横比較されることで、ハードルが爆上がりする世で、「推し活」が流行るのも無理はない。が、自分という人間についても諦めてほしくはないなと思っている。

歳を取るにつれて野球やサッカーをはじめとしたスポーツ観戦に興じる人が増えるのもわかってきた気がする。自分の才能(努力)が明示されて、応援という方向に変わっていく。それはそうかも。仕事をしていたら、多くの時間を趣味に割くのって難しい。ならその瞬間だけで良い応援とか見るという行為はコスパがいい。実際楽しいし。

こんなことを書いているが、自分も書くことについてハードルが激上がりしている。どうせ自分の文章を読むのなんてもの好きだしやりたいことやればいいか~と思えばいいんだけど、せっかく読んでくれるならコンマ秒でもおもしろい時間を提供したいという気持ち、あります。




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