親が離婚するということ
今までの人生最初の転機は中学3年生の夏にやってきました。
両親の離婚です。
過ぎてしまえばなんてことはなく、身の回りにも片親の家庭は多く見受けられます。
ですが、思春期の当時の私にとっては大事件でした。
正直、こうやって文章を書いていますが、妹を含めた家族4人の頃の記憶がほぼありません。
「家族団欒」というものを忘れて今まで生きてきました。
当時はそれなりに家族4人での思い出はあったのかもしれませんが、まるっきりその記憶だけ抜け落ちているのです。
自分にとって両親の離婚はそこまでダメージがないものだと思っていましたが、大人になっていくにつれて、自身の結婚についても考えるようになります。
その際に「家族」というもののイメージが湧かず、今になってボディブローのようにじわじわと効いているような気がします。
思い返せばその頃から、自分の使命は「バランサーになること」だと思うようになったのだと思います。
妹が母親についていくということが決まったとき、私は迷わず父親についていくことを決断しました。親と子のバランスを自分が取らなければならない、どちらかが不利になるような状況は避けなければならない、そういった考え方、生き方を形成したのは間違いなくあの瞬間が影響しています。
今じわじわと自分が家族を持つことが自身の中で現実味を帯びてきて、多少の不安はありながらも、当時の両親の選択は間違っていないと今でもずっと思っています。
産んでくれたことに最大限の感謝をしつつ、それでも両親も他人同士でそれぞれの人生があり、それぞれの人生を全うするために選んだことです。それならそれでなんの問題もないと思います。
離婚するということはそもそも合わなかった他人同士だったかもしれないわけですが、それでも2人は出会って私は生を受けました。それは単純に人よりも奇跡的なものではないかと感じています。
不思議なことに、私の数少ない交友関係のほぼ全ての人は片親世帯の子です。
やはり片親の子でしか通じ合えない経験や価値観があるのだと思っています。
おそらく自分でも検知できない何かを抱えて今後も生きていくのだと思いますが、自分で左右することができなかった両親の離婚という大きな転機をきっかけに、私のこれまでの人生は自身にとって全て正しかったのだと、胸を張って言えます。
受験シーズンに何してくれてんだということから勉強に身が入らず志望校のレベルを下げたこと、それによって結果的に大学のレベルも想定より下がったこと、入った大学と同じ街の会社に新卒入社したこと、その結果、大学で親友に出会い、前職で今の彼女に出会えました。どれをとっても伏線回収のように正しかったのです。
しかし最後に、片親世帯の子を代表してこれだけは伝えたい。
できれば子としては、「離婚しなければよかった」とも、「結婚しなければよかった」とも、死んでも親には思ってほしくない。
切実な願いです。
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