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辻村深月さんの 傲慢と善良

高校生の時に僕のメジャースプーンに出会ってから辻村深月さんの本が好き。だけど、ストーリーがすき!共感できる!とかいう好きではなくて、ディティールのリアルさ、うっすら感じているけどもやっとしていることの言語化力、自分でも気づいていなかった自分の感情に気づけるようになるところが好きで手に取ってしまう。

傲慢と善良

昨年映画化された傲慢と善良もそう。ストーリー自体は、もし現実だったら違う結末になるだろうフィクションみを感じるけど(特に2章)、1章のセリフや描写が刺さって抜けない本。
「高慢と偏見」をオマージュして現代の婚活を描いている。
18世紀末-19世紀の男女がすれ違う原因は、階級社会や先入観などからくる「高慢と偏見」だったりしたけど、現代は「傲慢と善良」なのでは、という問題提起。

傲慢さ

婚約者が失踪した架が婚約者を探すところから始まる話だが、婚約者がかつて使っていた結婚紹介所の方に
「ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です。」
と言われるシーンがある。

「いい人だけどピンとこない」「結婚までの決め手がない」というのは、自分の物差しで自分と相手を点数化したときに自分の点数のほうが相手より高くなっている状態なのでは?という傲慢さ、これが一番自分にもぐさっときた。

恋愛だけでなくて、友人、仕事でもあるかもしれない。
なめられてると感じるときって、きっと相手が自分につけた点数が低いときなんだろうな。
逆に自分でもこの人ならメールの返信遅くてもいいやって思ってしまうときって点数低くつけてしまっているんだろうな。普段意識したことなかったけど思い当たる節はいっぱいあって、だからこそ刺さった。

善良さ

親の言いつけをいい子で守って生きてきたゆえに、計算高さや悪意がない架の婚約者の真実。
この対比として書かれるのが、架の女友達や元カノのあゆちゃん。

架くんと付き合ってたけど結婚の決断をしてくれないから別れる決断をしたあゆちゃん、架くんは真実ちゃんのこと70点(結婚したい割合)っていってたよ(真実ちゃんは架くんのことを100点と思っているのに)と真実に伝える女友達、
対して、そういわれたら架くんに告げ口や相談することもできず騒ぎを起こして逃げだしちゃう真実ちゃん。
打算や悪意って誰かから教えてもらうものではないけど、生きるうえで必要なものなんじゃないの?という問題提起。

ファンタジーやお伽話なら、王子様が助けてくれるけど、現実は自分で何とかするしかなくて、それには打算や計算が必要だし、自己中心的な部分も必要なのに、真実ちゃんは受け身すぎる上に自己愛も強いから思い詰めてうまい解決ができない。
まだ、完璧な王子様が自分を選んでくれるファンタジーな世界を信じているような気がする。


中高校生の頃の私はもっと善良だったし悲しい思いや損をして変わった部分も多いから、
だいたいみんな中学高校でもめたり損したり悲しい思いしたりで身に着けていくんだろうなと思っている。

ずっとお伽話の幸せな世界に生きて行けるならそれに越したことはないよね。でもそれによってある日突然深く傷つけられることもあるかと思うと、どうなんだろう。わかっているに越したことはないな。
わかったうえでお伽話の世界を大事にしてくれる人が私は好みだけど、そうじゃない人もいるだろうし。


初見から数年たったけど、友達の恋愛話に触発されて恋愛観について振り返り、恋愛といえばこの本を思い出すため、この感想を書くに至りました。(映画も下火になったタイミングで遅すぎる。)

解釈違っていたらすみません。また考えが変わったら更新するかも。


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