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掌編小説|北風と月|シロクマ文芸部

 北風と北風が交差する、そんな不思議な街の一角にミチルは立っていた。
 北風が吹くと、ミチルが着ている張りのある薄いコートがはためいて、暴走族が走り去るときのようなバタバタバタという音を立てた。歩道脇に座り込んでいた老人は、その音を聞くと、大慌てで古いラジカセのスピーカーを耳にあてた。

「強い、強いぞキタカゼ! いけっ負けるな! そこだっ……よせ!……ガァッッ……ぁぁ……!」

 老人は騒いでいる古いラジカセを憐れみ、最後のキスをくれてやった。そしてラジカセを持って立ち上がると、次には空高く投げた。北風により、さらに高く遠くへと飛ばされていくラジカセの悲鳴を聞きながら、ミチルは老人とともに空を見上げた。いい月夜だ。

 強く風が吹くたび、様々な物が宙に放たれ、この特別な夜を彩った。その中には、舞い上がることで光を放つものがあった。いっぽうで、落ちていく悲しみに耐えきれないものもあった。
 ミチルは老人に別れを告げると夜の街をけた。息を切らし、大通りを抜けたミチルは、やがて大きな橋にたどり着いた。
 北風はそんなミチルの後ろから吹いていた。
 強い風に背中を押され、ミチルは小走りに橋の中ほどまで進んだ。そこに、見知った顔があった。何年もミチルが思いを寄せる、ジローという青年だ。
「ハイ、ジロー」
 ミチルは照れた。こんな素敵な月夜にジローに会えるなんて夢のようだから。それも、橋の上に二人きりだ。
 ジローは強風にやっと耐えている様子だっだ。ミチルの背中を押す風は、ジローにすれば向かい風で、立っているのもやっとなのだ。
「ジロー、あのね。あの時のこと覚えてる?あれは確か……」
 ジローは大げさに、何度も首を振った。そして耳のあたりで手を動かし、「風が強くてなんの音も聞こえないのだ」とジェスチャーをする。
 相変わらず、ミチルの張りのある薄いコートは爆音ではためいていた。
「そうじゃないのよ、ジロー。聞こえるとか聞こえないじゃなくて、まずは私のことをちゃんと見てほしいの」
 ミチルは悲しかった。こんなドラマティックな夜でさえ、ミチルの想いはジローに届くことがないのだ。
 ジローは、「今は薄く目を開けるのがやっとで、これ以上開けると目にゴミが入って仕方ないのだ」という複雑なジェスチャーをした。それを見たミチルは
「ジロー。あなたの想いの伝え方は情熱的でとても素敵」と、ますます好きになった。

 今夜、北風が二人をここに導いた。そして北風のいたずらで二人の思いは未だすれ違っている。

 ミチルは張りのある薄いコートを脱ぎ、思い切り空に放った。
 ベージュのコートがぶわっと開き、猛スピードで飛んで行った。それはまるで巨大なムササビのようだ。
 ジローは驚き、目をまん丸にしてコートが飛んでいく様を見ていた。それを見てミチルは「いまだ!」と勇気を振り絞った。橋の欄干によじ登り、ジローの視線の先へ、勢いをつけて高く飛び上がった。
 ジローが見上げた空に、ミチルと輝く月があった。ジローは視線の先のミチルに向けて「いい月夜だ」とジェスチャーをする。
 ミチルは嬉しかった。このときばかりはミチルだけを見つめてジェスチャーを送ってくれたジローのことを、心から愛しく思った。
 北風に乗って舞い上がったミチルは、やがて重力に抗いきれずに川へと落ちていった。

 激痛を伴い、沈みゆく。
 水中から見上げた川面を無情な北風が走り去った。
 月が輝いていた。




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