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掌編小説|モスコミュールの怪|シロクマ文芸部

働いていた頃は、よくモスコミュールを飲んだのよ、と言う元同僚に、それなら仕事を辞めた今は何を飲むの?と訊いた。
「冷えてたり、冷えてなかったりする水道水」と彼女は答えた。名を麗子という。

麗子さんは働き者だった気がする。三つ上だけど同期で、だけどその、なんというかとっつきにくかった。
麗子さんから突然仕事を辞めると報告された時も、それなら飲みに行こうよ、という声が震えてしまった。その時の麗子さんの鋭い眼光は忘れられない。

「だけどさ、麗子さん。どのみちまた職場復帰するでしょう?うちの会社に限らずとも」
当然の質問をした。麗子さんは私のモスコミュールを見つめたまま、ノンアルコールカクテルを舐めた。
「もう、働かないと思う。当分ね」
どうして?と訊くべきか否か。判断に困り無視をした。
「訊かないの?私が誰と不倫して別れて、その苦しみから体を売って、どこかの誰かの子どもを五人も身篭っていること」
「え」

うそよ、と言った麗子さんは後れ毛のひと束を手で払った。ふわっと香る、懐かしいメリットシャンプーの香り。
麗子、なんて名付けられているけど、本当は酷く庶民的で、倹約家なんだろうな。

「ねえ、麗子さん。どうしてお酒やめたの?」
私は何かひとつ、麗子さんという人の情報をお土産に持って帰りたかった。だから訊いた。禁断の質問を。

「それはね、働いていた頃にね……」




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青豆ノノ
チップとデールの違いを知りません。