掌編小説|天国|シロクマ文芸部
「秋と本田美奈子が重なる時があるんだよ」
あーまたそれ、と秋が言う。うんざりしながら寂しげに笑う。そう、その表情。
「似てるんだよなあ」
「ねえ、パパ。気持ち悪いよ」
嫌そうな声を出して、秋はそっぽを向いた。そして小さな声でつぶやくように言う。
「本田美奈子に似てたのは私じゃなくてママでしょ。私はママに似てるの。本田美奈子じゃない」
そう言いながらも、秋が私に向けた後ろ姿、それは本田美奈子そのものだった。
「生まれ変わりかもしれないな」
「誰の?」
「本田美奈子の」
「はあ?」
聞いてらんないわ、と言った秋はハンドバッグから煙草を取り出し、ふかし始めた。
「おいおい、そんなもの。よしとけよ、喉痛めるぞ」
秋はまっすぐ前を見たまま煙草を加え、深く息を吸い込み、止めた。そしてふわああと私の顔面に向かって緩く煙を吐くと、「本田美奈子じゃないっつってんでしょ」と低い声で言った。
「何をそんなに嫌がるのかな。ママが聞いたら悲しむぞ。ママだって本田美奈子の大ファンで、そうして僕らはファンコミニティで出会ったんだから」
知らないし、と言って秋は携帯灰皿に煙草をしまった。
「もういいですか?そろそろ行きません?ママのところ」
秋はそう言って立ち上がると安そうなドレスの皺を伸ばした。
「あ、ああ。もうそんな時間?」
私も立ち上がり、秋と共に歩き出す。
私の腕に自らの腕を絡めながらゆらゆらと歩く秋の髪からいい香りがする。よく知った香りだ。
「その香水……」
足を止めて秋に訊ねる。すると、秋は本田美奈子そっくりの笑顔で言った。
「ママに貰いました。杉崎さんがプレゼントしたんでしょ? 同伴の時はこれつけると杉崎さんが喜ぶって」
「そうか」
複雑な気持ちで私が笑顔を作ると、秋は私の耳元で囁いた。
「私のパパになってくれて本当にありがとうございます」
いつになくしおらしい。まるで本田美奈子だ。
「いいんだよ。さっきも言ったけどママとは旧知の仲だし、そのママが新しい子が本田美奈子にそっくりだって紹介してくれたのが君なんだから。気に入らないわけないだろ」
秋はふふ、と笑うと私を置いて歩き出した。私はそのあとをゆっくりと追う。
いくらか進んだところで、秋が振り向いた。まるで本田美奈子のような笑顔で私を見つめる。
「今日は歌っちゃおうかな。アメージンググレイス」
秋が本田美奈子を歌う宣言をすることなんて珍しい。私は感極まったがぐっと堪えた。
「ああ、頼むよ。今日はママの誕生日だし、僕も一番良いボトルを入れるから」
あははと高らかに笑って、秋はまた歩き出した。奥に見えてきたクラブの看板がいつになく明るく光っている。
〝club MINAKO〟
少し老いてはいるが包容力のある本田美奈子と、まさに今輝きを放つ自由奔放な本田美奈子に囲まれる、私の天国だ。
よろしくお願いします°・*:.。.☆