秋ピリカ応募作 「ロイにおくる」
薄い手の平に乗せた小瓶を眺め、女性は言う。かつてのあなたが、今もあなたである証拠は?──
「小瓶の中の手紙に、あなたの名前と住所があった。だから私はこれを届けに来たの」
女性はリラと名乗った。
「ロイはあなたで、マリアはあなたの叔母様ね。これを見つけたとき、私はあなた達の関係を知らなかった。だから想像したの。ロイとマリアはどんな絆で結ばれていて、何を語らい、この小瓶に手紙を詰めたのだろうって。そして、海に小瓶を放った二人は、どんな表情で互いに見つめ合っただろうかと」
リラが座っている、いつもはおとなしいソファの座面は、彼女が言葉を伝える度に穏やかな海面のごとく揺れた。
リラは幾度も手紙の表面を撫でる。折り皺を伸ばすように、その手触りから何かを感じ取るように。
不思議だった。四半世紀を経て海岸に流れ着いた、自分とはなんの関係もない手紙を、リラは宝物を愛おしむように眺めるのだ。
「紙に宿る物語に興味があるの。たとえば、この真四角とは言い難い手紙の縁を見る。すると、この一辺を一生懸命鋏で切った、幼くて不器用なあなたを想像できる」
──確かにそうだ。叔母が遺した日記には、僕の不器用さについても書かれているよ。
リラは笑った。
「そして残りの三辺はマリアが手を添え、二人で鋏を入れたのね」
──文字も、鋏の使い方も、あらゆることをマリアが教えてくれた。自然を愛するマリアは、いつでも僕を外の世界へ連れだした。あるときは二人で渡り鳥を見て、あるときは地衣類を観察した。そんな日々を綴ったマリアの日記の最後には、必ずこう書かれていたよ。
〝ロイ、かけがえのないあなたへ〟
リラは視線を落とし、ゆっくりと頷いた。
「あなたがかつての『ロイ』である証拠を、たった今見つけたわ」
そう言って、リラは僕の筆談帳の最後の一文を指した。
「『ロイ、かけがえのないあなたへ』。今あなたが書いた文字と、マリアがこの手紙の最後に書いた文字はとても良く似た癖を持ってる」
リラは自分のノートにそう書いて僕に見せると、僕の筆談帳の上に手紙を重ねた。
──マリアが旅立ったあと、何度も彼女の日記を読んだ。生まれつき耳の聞こえない僕にマリアは、いかに世界が美しいかを、日々伝えようとしていたんだ。
そう書き終えてペンを置く。
手紙を手の平に乗せ、リラがそうしたように紙の表面に触れてみる。すると不思議なことに、忘れかけていた潮の香りが鼻をかすめた気がした。僕はもう、随分長い間家に引きこもっていた。
「ロイ、外に出てみない?」
リラが僕の手に触れた。何年も乾いた紙の感触しか知らなかった僕は、彼女の手の柔らかさや湿度に驚いた。それと同時に、かつてマリアに抱きしめられた温もりが懐かしく蘇った。
温かかった。
リラの手も、久々に溢れて頬をつたう涙も。
(1200文字)
■募集要項
(はじめまして)
この度、憧れのピリカグランプリに初めて参加させていただきます。
ピリカさんはじめ、運営の皆様、審査員の皆様、イベント開催に向け様々な準備にあたられている皆様、ありがとうございます。
また、読んでくださる皆様に感謝申し上げます。
青豆ノノ