短編小説 | 枯れ枝と椿
ミニストップに集まってはハロハロを食べた。そんな10代を過ごしていた。
遅く目覚めた朝に、白い遮光遮熱のカーテンが眩しいくらいに光っている日は、なぜだか気持ちの奥の方がじゅわっとする。
家にいてはいけない、そんな気がする。だから電車に乗って、車内の暖房と、窓からの日差しにあたためられながら、どこへ向かうともなく、どこかへ行こうと思った。
もしも電車で、自分の右隣に座る人を、自由に選べるとしたら、ダウンジャケットを着た男の人がいい。
黙ってスマートフォンを操作するその人は、ダウンジャケットの羽毛が抱き込む空気の分だけ、わたしからは遠いところにいる。
わたしは、少し厚めのジャケットを着て、遠慮なく右腕の側面を、彼のダウンジャケットに密着させる。羽毛が抱える空気は優しくて、わたしに彼との距離で気を遣わせることがない。
わたしはまっすぐ前を見たまま、密着した腕を彼から離すことなく電車に揺られている。
吐く息を、できるだけ細く絞る。決して彼の邪魔をしないように。
そうしていると、隣に座る男の人は、ゆっくりと目を閉じて、いつしか眠りにつくのだった。
電車は一駅ごとに止まって、また動きだす。
隣の彼は、いったいどこで降りるのだろう。ふとそんなことを考える。
せめてわたしに降りる駅を伝えておいてくれたなら、わたしはあなたのために眠らずに起きているのに。
足に吹き付けられる暖房の熱は、火傷をしそうなくらいに熱い。でも、大丈夫。わたしは、あなたの横にいる。
「こんな夜遅くにハロハロなんて食べてんのか」
夜の22時半に、一人、コンビニでハロハロを食べている中学生だった私を見て、あのときキミは、どう思った?
やばいな、この子。大丈夫か?って、思わなかっただろうか。
「大丈夫だよ」って、わたしがにこっとしたらそれで終わり。キミにとって、わたしは大丈夫な子。
わたしは涙の流し方がわからない。
大丈夫な子は、涙が似合わないのだから。
激しい電車の揺れで、隣の彼が目を覚ました。
彼が吐く、細く長いため息が消えないうちに、わたしは彼の痩せた手の甲に、いつもより熱を持った自分の手のひらを重ねてみる。
驚いている気配を感じて、彼の浮き出た手の甲の血管をつねりたくなった。
「あなたがわたしを抱きたければ、抱いてもらっても、大丈夫ですよ。わたしはあなたに抱かれても大丈夫な子なんです」
わたしは前を向き、手を重ねたまま、隣の老人に言った。
老人の戸惑いを手のひらに感じとる。
彼はいったい、なにに戸惑っているのだろう。
これまでにこの老人は、何人の女たちと肌を重ねてきただろう。大丈夫と言っている若い女を、抱けない理由はどこにあるのか。
老人と、若い女。
今のわたしたちは、どれくらいいかがわしい関係に見えるだろうか。
もしもわたしたちが、枯れ枝と椿だったら。枯れ枝の横に咲く美しい椿を、誰も咎めはしないだろうに。
やがて老人の手が、静かにわたしの頬に伸ばされる。
そしてわたしの胸に届き、躊躇いがちに私を刺激したとして、それでもかまわない。
大丈夫、大丈夫。私は自分に言い聞かせる。傷口に少しずつ、薬をすり込んでいくときのように。
有難みも感じないまま、「ありがとう」とわたしは言った。
・・
布団から出ていた足にあたる、電気ストーブの熱が不快だ。
わたしは足で、ゆっくりとストーブを押して布団から遠ざけた。
熱くなったふくらはぎを布団の中に引き込んで、抱えるように丸くなった。
カーテンから漏れる明るい日差しを避けるように、頭から羽毛ぶとんを被る。
今日もやっぱり、電車には乗らない。
今はまだ、このままがいい。
「大丈夫だよ」と呟いて、わたしはまた、自分だけの世界で息をする。
[完]
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