切り分け力 限りなくあるがままに物事を観る力
前回は「こじつけ力」について書いたけれども、実は私はこじつけ力は誰にでも元々備わっている能力だし、人間誰しもある意味でこじつけは大得意なのではなかろうかと思っています。
ただ、自分自身や自分の人生にプラスになる方向にこじつけるられるかどうかについては別で、前回の記事のように意識的に練習していく必要があると思います。
私たちは常に膨大な情報にさらされているので、全ての情報を正確に理解するのは不可能です。よって、情報の中から重要であろうというものを選び取って、自分にとって理解しやすい形に変換します。それを「こじつけ」またの名を「解釈」と私は呼びます。
解釈というのは、自分が昔から慣れ親しんだパターン(自分がそれを好きかどうかは別として)で行われます。
・何か嫌なことが起こると日頃の行いが悪かったからだと思う
・小さな頃から雨男(女)と言われてきたので、イベントの時に雨が降ると自分のせいだと思う
・ライブのチケット、宝くじなど何かの抽選に当たりたいから徳を積もうと思う
このくらいはよくありそうな話ですが、
・近くで小声で話している人たちがいると、自分の悪口を言っているのではないかと思う
・近くにいる人(親など)の機嫌が悪いと、自分が何か不快にさせることをしたのかなとソワソワする
・家族や会社のためには自分がいないといけないと思う(よくある休めないというやつ)
「あなたが信じてるそれ、ホントにホントにホントにそうなんですか?」
という話なんです。
(でも上のやつは全部私が信じていたこと。笑)
私と同じように本当にそうだと信じている人、いると思うんですよね。
ただ、日頃の行いが悪かったから嫌なことが起こったのか、雨男だから雨が降ったのかどうかは本当のところは誰にも分かりません。神のみぞ知る。
誰にも真相がわからない、自分でコントロール不能なことが起こったことを自分のせいだとこじつけるのは非効率、疲弊のもとです。考えても、責めてもどうにもできないことだからです。
だから、ここで切り分け力の出番。
「これは事実だ」と自分が信じてやまないことを更に事実と解釈に徹底的に分けていきます。
「近くで小声で話している人たちがいると、自分の悪口を言っているのではないかと思う」
近くで話している人たちがいる
→事実
自分の悪口を言っている
→解釈・こじつけ(本当かどうかわからない)
「自分の近くにいる人(親など)の機嫌が悪いと、自分が何か不快にさせることをしたのかなとソワソワする」
近くに人がいる
→事実
機嫌が悪い
→本当に?そう見えてるだけかも
自分が不快にさせることをした
→そうかはどうかは本人にしか分からない。
こうやって日々繰り返し、自分にとって嫌なことを事実と解釈で徹底的にバラバラに解体していくと、事実だと思っていたほとんどのことは実は解釈だったんだと気づいていくはずです。
自分が思っているほど深い意味などなく、ただただ出来事は目の前で起こっているだけなんだ、と。
自分にとってプラスになるように「切り分け力」と「こじつけ力」を使い分けていけば、人生勝ち組路線かも?