友人の友人のお葬式
大学1年生の夏、高校時代の友人A君から電話がかかって来た。
気心知れた相手なのでいつも通りの軽い挨拶をしたところ、A君からの返事の声のトーンが低いことに気付いた。
「B君が交通事故で亡くなったんだって。」
普段笑いながらバカ話ばかりしてたA君から、初めて聞くような暗く真面目な声でそう告げられた。
「明日通夜があるってさ。場所は●●で、時間は…」
A君は手短に要件を僕に伝えると、雑談に入ることもなく電話を切った。
僕は戸惑った。
何故なら僕はB君と全く仲良くなかったのだ。
高校1年生の時、僕とA君とB君は同じクラスでA&Bは陽キャ同士でつるみ、僕は彼らとほぼ交流が無かった。
2年になってB君とだけクラスが分かれ、僕はA君と席が近くなったことがキッカケで話すようになり意気投合した。
休み時間などにA君がB君とじゃれってるのを見かけたので、そんな調子で彼らは卒業後もずっと交流を続けていたんだと思う。
一方の僕とB君は1年の時に挨拶をするぐらいだった。
B君と僕が交わしたトータルの会話量は、高1の秋に退学したX君という男の子と僕の会話量よりも少ないはずだ。
というように、僕とB君は仲が悪いとかではなく、ほぼ交流を持たなかったので単なる顔見知りレベルといっていい。
そんなわけで、親しくもない友人の友人の葬式の案内が来て戸惑ったのだ。
当時大学生の僕は、どの程度の関係値の人の葬式にまで行けばいいのか分からなかったし、誰かに相談したら『高校時代の友人の葬式に行くのを迷ってる冷たいヤツ』と見られてしまうのが怖かった。
結局行くか迷ったが、もし行かなかったら案内の電話をくれたA君との仲がこじれるかもしれないと思い、準備を進めた。
その際、バイト先に電話で「友達の葬式があるので明日休みたいです。」と事情を伝えたところ「何それ、ホント?」と店長から言われたのを覚えている。
今思えば確かに嘘っぽい。
そんなこんなで翌日、僕は昼過ぎに電車に乗って会場へ向かった。
初めて降りたB君の地元の駅、事前に調べてみたが会場へ向かう術がわからなかったのでタクシーを探し始めた。
痛い出費だなとか思っていたら、「お、Yanagiじゃん。」と声をかけられた。
声をかけてきた相手は、1年の時にA君&B君が属してた陽キャグループにいたZ君だった。
僕は彼ともほぼ交流はなかったのだが、偶然見かけた僕に対して「B君の会場行くなら乗ってけよ」そう言って自身の車に乗せてくれたのだ。
ガチの陽キャの人は、特に何も考えず『気持ちの良い付き合い方』を色んな人に出来てしまうから羨ましい。
車内では、今どんな生活をしてるかといった雑談がメインで、意識的にB君の話題は避けてるように感じた為、僕も触れることはせずにやり過ごしていると5分ほどで着き、会場へ向かうと高校の同級生をたくさん見かけた。
正確に言うとB君のクラスメイトだった同級生たちなので、予想してた通り僕との関係値が深い人たちはその中にほぼいない状態だった。
そんな会場の彼らはB君の死を一様に悲しんでいて、涙を流している人もチラホラいた。
その様子を見て僕が感じたのは『孤独』と『罪悪感』。
会場の人たちと感情をシンクロ出来ていなくて浮いていたし、『なんで自分はここに来てるんだろう』と心のどこかで感じてる自分自身が、B君に対して申し訳なかった。
そんなことを頭の中で色々考えていると、隣にいたZ君から「そういえばYanagiはB君と特に仲良かったってわけではないのに、よく来たな。」と話しかけてきた。
そして「A君とかは今日来ないらしいし、お前は優しいな」と彼は続けた。
え?A君こないの?
…てっきりあんな電話をかけてきていたので、A君は間違いなく来ると思っていたが、最初から来ないつもりだったらしい。
A君のまさかの対応を聞き、頭の中にモヤモヤを抱えながら通夜を終え、僕は即帰宅したのだった。
今回の出来事で色々な感情を経験して自分が得た教訓は、
【顔見知りレベルの知人の葬式なら、出席しなくてよい】
もちろん会社関係等での例外はあるが、今後僕は親しくない知人の式には出席しないつもりでいる。
他の参列者ほど故人を偲ぶ気持ちを持てず、申し訳なさを抱くのがとても苦しかったからだ。
世の皆さんはどの程度の関係値の人の式にご参列されてるのだろう、と疑問に思いつつこの投稿を終えます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?