“BIG LOVE”を胸に子ども・若者支援に奔走する支援者たちが、「聴く」ことについて語り尽くす(語り尽くせず次回に続く)
「やっぱり愛がなくちゃね」――。
子どもや若者支援に取り組む支援者たちの、そんなつぶやきから生まれた「BIG LOVE会」。
NPO、行政機関、児童養護施設など、様々な現場で対人援助に関わるメンバーたちが、6月最後の金曜のお昼、港区赤坂にあるスナック「ひきだし」に集まりました。
目的は情報交換、そして皆で語り合うこと。
語り合いのテーマは「聴く」。
テーマにふさわしい親密な空間で、日々聴くことと向き合う参加者たちが経験も交えて語り合った2時間を、ほぼノーカットでお届けします。
人生や仕事へのヒントもたくさん!
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ご挨拶
この日の会合、別名「スナック・おきく」を企画したのは、モモコさん。
アフターケア相談所「ゆずりは」のスタッフで、虐待に至ってしまった親を対象とした「MY TREEペアレンツ・プログラム」(クラファン挑戦中!)のファシリテーターをしています。モモコさんは、
ライチさん
妊娠中の女性や子育て中のママの話を聴く「リスニングママ・プロジェクト」発起人
ネモトさん
頼る先のない若者の居場所づくりや居住支援をする「サンカクシャ」に関わっている
コトコさん
都会の真ん中でだれもがホッとできる居場所「れもんハウス」を運営している
以上の3人に声をかけ、スナック「ひきだし」の紫乃ママの全面的な協力を得て企画が実現しました(紫乃ママは社会福祉士の資格も持っています)。
まずは、発起人のモモコさんがご挨拶。
「話を聴く、気持ちを聴く、それが人の回復につながる、というテーマで語り合いたいなと思って集まってもらいました。最初に、言い出しっぺの4人が少し長めに時間をもらって、聴くことを介して接してきた方たちとどんな関係性があったか、相手や自分にどんな変化があったか、できれば具体的なエピソードも入れてお話します。せっかくスナックで開いているので食べながら、飲みながら。話聞いてる?くらいの感じで聴いてください~」
〈ふつうの人が話を聴ける世界をつくりたい〉
トップバッターはライチさん。
ライチさん:
沈没家族で、シングル母子3組と独身の人が出たり入ったりしながら子育てをする経験を9年くらいしました。
子どもを見てもらうこともですが、話を聴いてもらえるのが一番助かった。
自分がめちゃ子育て苦手だということに気が付いて、子どもを連れてきてヨガをしたり、お茶を飲んだりしながら話ができる場づくりを東中野で始めたのが20年前。そこには幸せそうなお母さんもたくさんいて、「なんで自分はこんなに子育てが苦手なのか」と、心理学やコミュニケーションを学びました。
やがて震災が起きて人が集まれなくなり、オンラインで人の話を聴くことを始めた。そしたらみんな20分で元気になっていく。
「本当は怖かった」
「子どもがいる前で元気なふりしてたけど、今も不安なんです」
なんてことをワーッと喋って元気になっていく。これは1人でやっている場合じゃないと思い、聴く人の養成を始めました。
ライチさん:
研修では聴くことに特化したトレーニングをします。リスナーになるための認定試験では、話し手に向かって「がんばってね!」なんて言っちゃうと落ちます(笑)。これまで100人ほどが受講して20人ほどがリスナーとして認定されました。
リスナーは相手を元気づけるのではなくて、話している人自身が「こうしてみようかな」と気付いたり、湧いてきたりするものを「うんうん」と聴く。リスナーも聴くことで元気をもらう。みんな頑張っている、人間ってすごいなと思える、そんな活動です。
20分ってちょうどよい長さなんです。
ちょうどいま子どもがお昼寝しているからかけてみようとか。
ひと息ついて、自分で整理できて、何かがわいてくる時間。
内容は子育てにまつわるもの、夫婦、親、学校、自分の仕事、いろいろ。
その年代の人が直面していることすべて。
叩いた、怒鳴ったという話も出てきます。
ーー「20分という制限時間は短くないですか?」と質問が飛ぶ
ライチさん:
利用者さんに、ここまでで20分ですがどうですか?と聞くと、
「ちょっと落ち着きました」
「こんなに怒ってたんですね、私」
という反応がきます。
特に何の解決もしないのですが、
「こんな風に人に話を聴いてもらったのは初めて」という人が何人もいます。
その状況を変えたいんですね。
ふつうの人が話を聴ける世界をつくりたい。
役割ではなくて、人として出会って話を聴く。
それができる状態があるといいなと思って活動を続けています。
ーー話が終わり、モモコさんが感想を言う。
モモコさん:
傾聴って結構難しい。
うちのプログラムを受ける利用者さんでも、役所で傾聴ボランティアの人に聴いてもらったけれど、ウンウン言うだけで何も示してくれないと
怒っている人がいました。
ライチさん:
ただ聴くだけじゃなくてNVC*的なニーズを聴いています。
その人がめちゃ怒っているとしたら、そこで損なわれたニーズがあるので、そこを聴いていくのも大事なのよね。
〈こんなに人に話を聴いてもらったの、何年ぶりだろう〉
2人目の話し手は、ネモトさん。
ネモトさん:
国の生活困窮者自立支援制度が始まった2015年頃、当時勤めていた社会福祉協議会から役所に出向し、路上生活者の支援にあたりました。
ある日、路上生活になって数ヶ月経つおじさんが窓口にやってきた。
冬で寒くて収入を得るあてもない。炊き出しもないし死のうかと思っていたが、たまたま隣で野宿してる別のおじさんから、
「そんなに思いつめた顔して…役所には行ったんか。ダメ元で行ってみたらどうだ」と、言われたと。
ピアの力、グッジョブです。「(アドバイスしてくれた)そのおじさんは行ったんか?」という突っ込みはさておき(笑)。
役所でうまくいっていたらそこにはいないわけで…。
ともかく、おじさんたちの助け合いは意外にすごいです。
ネモトさん:
それでご本人が来ました。いろいろうかがい、やり直せる方だと思った。
数日間仮の宿泊所に入っていただいた後に、長くいられる施設に移行することになり、宿泊所に移動する2~3時間ずっとお話を聴いた。
別れ際におじさんがポロっと、
「こんなに人に話を聴いてもらったの、何年ぶりだろう」と言ったんです。
路上の人たちは、いるのにいないことにされていて、いちばん話を聴かれていない人たちなんですね。
支援の枠組みに乗るためには、支援側の理論に乗らないといけないこともあり、彼らは思うことを自由に話せない時もある。
圧倒的に人に話を聴かれていない人たちが、聴いてもらい、存在を認めてもらうことが原動力となって再び立ちあがれるんだと思いました。
おじさんは、施設の方の献身的な支援もあり、軽度の知的障害があることも分かって障害者手帳を取り、住まいと仕事を見つけて、トントン拍子で人生を立て直していったんです。
その後、私も転職することになり、勤め先を辞める年度末におじさんがふらりと窓口に現れた。
「最初にあんたが話を聴いてくれたおかげでここまでこれた」と言って、プラスチック製の小さな鉢植え(写真)をくれたんです。
役所の人はモノをもらってはいけないので、大げさでないものをと、100均で買ってきてくれたんでしょう。
おじさんとのやりとりは1、2回くらいでしたが、最初の出会いの場面で、
聴くことによって本人を一度しっかり受け入れることの大事さを、あらためて教えてもらった気がします。
ーーネモトさんの話は、聴くことが思うようにできなかったコロナ禍での支援の話にも及んだ。
ネモトさん:
コロナの時は大変でした。
(支援を必要とする人たちと)つながりきれなかった。
実はホームレスの人たちの多くはネットカフェで寝泊まりしている。
ネットカフェまで休業になり、都内にいる2000人以上はどこへ行くのだろうと心配で。
人を集めての相談会も開けないので、支援団体同士で連絡をとりあい、人海戦術で連絡がきたところに出向くということをしていた。
その時、夜職をしている女の人たちとか、それまで出会わなかった新しいホームレス像と沢山出会いました。
〈“ふつう”ってなんだろうね?と問い返す〉
3人目の話し手は、コトコさん。
コトコさん:
日本にいる難民の子の支援がしたくて社会福祉士の資格をとり、資格の勉強の実習先だった母子生活支援施設で働きました。
新宿という土地柄、未婚で出産したお母さんも多く、自身の生い立ちにも傷つきがあり、子どもとの関わり方がわからないというお母さんもいました。
彼女たちとの関わりで感じたのは、
施設という枠組みの中ではできないこともあるということ。
一緒にお酒を飲んで語り合ったり、グダグダしたり。
親子やきょうだいで喧嘩して煮詰まったりした時に、公式的に家出できる場所があったらいいなと思っていたら、西新宿にちょうどいい古民家の物件を見つけてれもんハウスを始めました。
今も母子生活支援施設ではパートをして、火曜の夜は歌舞伎町のNPO法人レスキュー・ハブのアウトリーチ活動を少しだけ手伝っています。
コトコさん:
母子生活支援施設にいるお母さんたちと喋っていると、
「良い母であらねばならない」
「家族とはこういうものだ」
というような、社会で醸成された価値観への呪縛が強くあって。
それができない自分とのギャップの大きさにしんどさを抱えているということがすごくありました。
「ふつうはこうじゃん?」、「ふつうのお母さんってこうだよね?」
という彼女たちの言葉を聴いて、そうだよね、じゃなくて
「“ふつう”ってなんだろうね?」
と問い返しをする。
母としてではなく、あなたはいま何を感じているのか、何を選ぼうとしてるのか、あなたが本当に望むのは子どもと生活することなのか、もしかしたら、子どもと離れて生活することかもしれない、といったことも含めて問い返しをします。
そうすると、「えっ?」みたいな反応がくることが多いんですが、
その問いはすごく必要で、今までそがれているものだったりする。
母としての役割とか、社会が期待する枠組みとか、いろんなメッセージを受けて彼女たちが内在化してしまったものをいったんはがして「あなた」を問い直すきっかけになる。
そんな“応答”があるといいなと思っています。
ーー聴くことによってうまれる「応答」がある。
モモコさんが言う。
「聴くという行為は1人じゃできない。語る人がいて聞く人がいる。その時点で関係性が生まれている。私たちは、関係性を得た人の話をしているわけね」。
〈“スーパーお母さん”ができるまで〉
そして最後の話し手、モモコさんの話が始まった。
モモコさんの肩書はひと言では説明できない。
モモコさん:
人の話を聴くのが好き。子どもの頃からずっと聞き役でした。
友だちや周りの人に自分の話を聴いてもらった記憶があまりない。
大学で心理学を学び、途中で親が亡くなるなどして挫折して休学して、ヨーロッパを放浪。
帰国後は編集プロダクションで編集ライターの仕事を始めました。
ジュエリーを扱う雑誌でしたが、毎日帰りは終電で薄給とかなりブラック(笑)。それから広告代理店でセールスプロモーションの仕事をし、出版社で月刊誌とウェブマガジンをつくり、会社員の最後はディズニーでインターネットに関わる仕事をした。
いろいろやって生き抜いていく力はつきました(笑)。
編集や広告を学校で学んでいた時、講師に来た「ファザーリング・ジャパン」の安藤哲也さんと知り合いました。
2011年に安藤さんらが立ち上げた「タイガーマスク基金」の事務局を手伝うことになって初めて、社会的養護の世界を知りました。
「ゆずりは」代表の高橋亜美さんが働く社会的養護のアフターケアの記事を新聞で読み、アポをとって話を聴きに行ったのが「ゆずりは」との出会いです。
当時はライターをしていたので、ある時、知り合いから「この子のことを書いてほしい」と、父親に虐待を受けている高校生の女の子を紹介されました。
話を聴いて、この子は支援に繋がるべきだと思って、高校を出て働くなら自立援助ホームという場所がある、進学したいなら児童養護施設に入れば奨学金を受けられるよ、などとアドバイスしたんです。
しかし彼女は、「私よりお金が必要な人はもっといる」と言う。
もう一介のライターにはどうにもできないと思い、亜美さんに相談した。
その時は、その子が高校を卒業するまで打つ手がない感じで、「こんなに大変なのに我慢するしかないの?」と社会に怒りを感じました。
ただ亜美さんは今後も何かあれば協力すると言ってくれて、相談できる場所があることにほっとしたんですね。
その後、亜美さんからゆずりはで働かないかと声がかかりまして。
「まじめじゃないからできそうな気がする」って。私、すごいマジメなんですけどね(笑)。
今は「ゆずりは」で、虐待を受けて大人になった人たち、傷つきをたくさん持ってる人たちと、日々エイヤっと斬りあいながら(笑)やっています。
〈すべてのこたえはその人の中にある〉
モモコさん:
聴くのも語るのも相手が要る。そこに関係性が必ずある。
語るには安心が必要。
語る側にはわかるんだよね。聴く側が発する言葉じゃなくて、間合いとか、空気感とか。
傷ついてきた人たちのセンサーはすごい。
聴く側が敵か味方かを、瞬時に全身で測ろうとするから、こっちも全身でかかる。ただ目を見るとか、うんうん言うだけじゃなくて、時にはため口を使うことも必要だし、もはや人間と人間のセッション。
相手が「この人は聴いてくれる」と認めてくれると、次には堰を切ったような語る波、感情の波が押し寄せてくる。
今までふたをして、語らないようにして守ってきたことの下にあった自分の気持ちが、コントロールできないほどブワーって出てくる時がある。
こっちはそれに飲み込まれないよう、
「ちょっとずつでいいよ」とか言いながら聴く。
自分にウソついて、フタしていた気持ちがあふれ出して、人間らしくなっていく。
心が柔らかくなって語りたくなるんだけど、語って傷つくのも怖い。
そういう葛藤に、「大丈夫だよ」と言いながら、進めていく。
「MY TREEペアレンツ・プログラム」は、聴くだけではなく、コメント返しをします。
コメント返しには訓練がいるんです。ひと言、短くシンプルに。
言葉が多くなると大切なことが入らないから。
相手の語りの中からひと言だけ、すくいとる。
そのひと言に、相手の何かが刺激されて後押しになったり、気付きになったりするんです。コメント返しの研修には時間をかけています。
(コメント返しの技術を磨くのに)私は、美術とかアートとか、本を読むことから得られる感性って必要だと思っている。
比喩を使うとその人の中に入っていきやすい。映画を見たり、マンガを読んだりするのもいい。
あと、コロナの頃に見たBE:FIRSTのオーディション番組がめちゃめちゃ役に立った。プロデューサーのSKY-HIが応募してきた男の子たちにかける言葉が彼らをエンパワメントしていて、とても勉強になった。
すべての答えはその人の中にある。
それに本人が気付き、納得したものが出てくるのを信じて待つのがMY TREEペアレンツのプログラムなんですね。
相手をねぎらいながら、「あなたの中にはこんな力があるんだよ」、「え~そうかなあ」という応答性が生まれていく。
そのためには相手に「この人には聴いてもらえる」と思ってもらえる関係性をつくらなきゃいけないと思ってます。
〈言葉にならない言葉をどう感じとるか〉
4人のメインスピーカーのお話のあと、自らも被虐待経験があるノリコさんから質問が出た。
「私が10代の頃、カウンセラーの方にめちゃめちゃオウム返しをされていることに気付いて、心の中で引きこもってしまった経験があります。
聴く側がテクニックに飲まれると心を分かち合っていけないと思う。
皆さんはテクニックとどう折り合いをつけていますか?」
ハッとさせられる問いかけだ。
ライチさんが答えた。
「いくつか民間のカウンセリングスクールに通った時、『これを言えば必ず相手は心を開いてくれる』と教えられた言葉があるんです。それは…『(しみじみと)ここまでがんばってこられましたね』です」。
このコメントに一堂、大爆笑。
日々、ぎりぎりのところで人間同士の“セッション”を重ねてきたメンバーには、傾聴の定型文のようなフレーズがおかしいほど空々しく響いたのだろう。
続いてメンバーの1人、心理士のマサコさんが言った。
「心理士になりたての頃はテクニックに頼りたくなってしまうことはあった。理論やテクニックがあるからこそできたというのもある。
振り返ると恥ずかしいし、相手を傷つけてしまったなと思うこともある。
そもそも子どもたちは言葉を多く持たないので、どう聴くかは難しくて、
テクニックに頼らざるを得ない時もあった。
そこに経験値や、こうして色々な角度から聴くことを実践している人の話を聞き、自分の中に落とし込む作業を続けていくことかなと思う。
キラーワードがあるわけでもないし、これをすればいいという態度があるわけでもない。その人の魂にどう入っていくか、言葉にならない言葉をどう感じとるかということかなと」。
精神社会福祉士で、心を病んだり傷つきを抱えたりしている人たちへの訪問看護をしているマユコさんが言う。
「私は人に会う前に自分のやり方や感情、価値観を抜きます。
その人を(私のなかに)入れたいんです。
いま目の前にいるその人だけじゃなくて、傷ついた時点のその人も含めて。
実は傷つきの深さは、残酷さよりもその時に聴いてもらえなかったことが大きい。なので、傷ついた時点のその人に伝わる言葉で働きかけるんです。
だからこそ時間を区切ります。聴いている間はその人のことを大好きになって、その人を産んだくらいの気持ちになっても、対話が終わった瞬間にスッとその状態を抜けるんです」。
この発言に複数のメンバーが反応した。
モモコさんが
「私は自分は何もない人だと思ってる。入れ物のイメージです」と言えば、
茅ケ崎で子どもからお年寄りまでが集える居場所を展開するモジャさんは、
「私は筒(つつ)って言われるよ!」。
コトコさんが「筒じゃ抜けちゃうじゃん」と合いの手を入れて、またもや一堂が大爆笑。
「溜めたらダメ。抜けるのでいいのよ」とモモコさんが言う。
「しんどい話ばかり聴いてつらくない?って言われるけど、溜めないから全然つらくない。
呼吸をする。上から下に、天から来て大地に流す。子どもとの関係性も、解決して何かを/誰かを良くしようというんじゃなくて、その場を受け流す、自分の感情を流すことが大事。
ひとまずけんかをボリュームダウンすれば次に行ける」。
〈いつも心に盛り塩を〉
ここで、ニコニコと微笑みながらみんなの議論を聴いていた紫乃ママが口を開いた。
「私の心の中には“盛り塩”があるんです」
ママならではのオンリーワンな言葉選びに一堂がドッとウケて、すぐに語りに耳を傾けた。
「結界って大事です。旦那さんが朝からお酒を飲んで暴言を吐くと言ってさめざめと泣く方、お子さんが自死されたという方、飲みに来ている場合じゃないよねという大変な状況の方…。皆が帰ったあとでボソッと話す方もいる。私まで話を引きずってしまうことが昔はありました。
でも今は、その時はしっかり聴くけど、いったん店の外に出たら世界は変わると考えている。そうでないと他の人の話も聴けない。
“筒”という表現はピンときます。それと、スナックという場の良さは、1対1じゃなくて周りに誰かがいること。ざわざわとした中で話が流れていき、また自分の中に戻ってくる」
コトコさんも言う。
「それはれもんハウスで聴く場面でも言えますね。
色々な人がいる中で話を聴くことで(聴き手の)私も守られる。相手が泣き始めたら、(話には入っていない)周りの人に『ちょっとティッシュとって』とかね。
聴きながら、流しながら、クールダウンの時間を持てる」
***
あっという間に2時間が過ぎ、お昼休みを利用した「昼スナック・おきく」は店じまい。メンバーたちはそれぞれの「聴く」をめぐる実践の場へと戻っていきました。
本日語り尽くせなかったことは、次回セッションでまた。(了)