愛せなくても恋はする。
もう最後の記事から4ヶ月も過ぎてしまったのか…。
1年間を意識して振り返ると
色んな想いが溢れて溢れて止まりません。
私は最愛の恋人と別れてから
正直いって全てが良い方向に向かい
みるみると運気が上がっていきました。
悔しいけれど、本当に。
ツラくてツラくて死にそうだったけど、
別れが正解だったと実感させてくれます。
私は夜逃げから半年すぎてもまだ
思い出しては泣いたり、楽しかった出来事をまた頭の中で反芻してみたりして
夢に彼がでてきてばかりで
複雑な気持ちになります。
だから私は、前に進みながらもまだ彼のことを〝引きずっている〟のです。
だからといって、
戻りたい気持ちはさらさらありません。
…恋しい。
だけどもう、
2度と会いたくないです。
いや…会いたい。
でも…会ってはいけないのです。
私は愛していた対象から離れ、
歳下の男の子に、
またまた未来のないような恋をしていますが
本当にプラトニックなので、
誰かに恋をするということは
苦しみを伴わなければ、「癒し」になるのです。
その男の子は本当に、私の傷ついた心をみるみると癒してくれました。
時々は欲が出て、彼が嫁と別れて私のところに来てくれたらいいのにーと思うこともありますが
きっとそういうことではないのだろう、と
本能的にお互いが感じているような気がします。
お互いがお互いを「好き」なのは、
ひしひしと伝わってくるけれど
私がそこにいつまでも心を囚われてはいけないので、
なんとなく私は自分の気持ちに区切りをつけました。
もう、「淡い期待はしない」という覚悟ができました。
誰に対してもそう思うようになり、
私がいちばん苦手である〝理性を保つ〟ということを学んでいきました。
性欲に関していえばまた別で、
お互いに割り切っているなら成立するので、逆に私に期待をしないでくれといった調子で
時々誰かとセックスをしては、
コトが済んだらとっとと帰ってくれ、と思ってしまうし、
名前も顔も覚えないという
冷たい部分も持ち合わせて過ごしてきました。
《全力で》《本気》で人間を愛することは、私にはしばらくのあいだ無理かもしれません。
それでもいいのです。
こんなに1人で過ごす生活が自由だなんて、
何年も何年も知らなかった。
さみしがりやな私だけど、1人でも楽しいことを知らなかった。
彼のことをいつまでも振り返ってしまうのは仕方のないことだけど、
時間というクスリが効いてきているのは確かです。
私がなぜ彼のような人間を選んでしまっていたのかわかったような気がするし、
結局は自分の責任だということ。
そして心の底から自己肯定をするべきだったということ。
まだまだ課題は沢山ですが、
私の準備が整ったときに、
最高のパートナーが現れるだろうと
私は前向きに考えています。
恋愛は、自分と向き合うにはいちばん最適の学びなんじゃないかな。
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