32sai これからの生き方を考える
どうもアオコです。
さくらが綺麗な一日でしたね。ほんとに。
今日は6回目の結婚記念日でした。
あの時も桜が綺麗な季節だからと、披露宴のテーブルの上はさくら色のナプキンを置いたなー。
そんな素敵な日に、わたしは会社の同僚の訃報を聞くことになるとは思いもしませんでした。
その子は3年くらい一緒に同じ部署で仕事をしていました。パソコンスキルすごくてとても憧れていたんです。謙虚でいつも笑顔の彼女と一緒に仕事をするのはほんと心地が良くて。
わたしが部署異動してからも、よく相談に乗ってもらっていたし。
そんな彼女はママになって半年。
病気が見つかって1ヶ月半。
育休に入っていたのは知っていました。
今日は、その子がいつもお昼に座っていた席に
座ってお昼を食べました。
なんて不確実な世界なんだろう。
そして自分はなんて愚か者なのか。
つい半年前まで、自然と消えることが選択肢にあった自分と生きられなかった彼女の無念を思うと締め付けられるこの感情。
と同時に
自分が生きていることが当たり前じゃないってことに気がついて…。
不安にかられる。
今のわたしが思ったことは
不確実な世界をただ淡々と
やるべきことや目の前のことに尽くして生きることができることって
ものすごい能力?チカラだなって。
いつかこの世界からいなくなる。
突然かもしれないし、徐々に薄くなっていくのかもしれない。
それを受け止めて、淡々と生きることができることってすごいこと。
当たり前に感謝することができるのも、いなくなることをどこかで理解できているからこそなのかなと。
いつかいなくなるを受け入れたら、なんだか今のこの瞬間にすごく色が付く気がして。
すごく日常の見え方がガラッと変わった気がした。
大切にしなきゃ行けない日々なんだよなと。
丁寧に。
どうやって生きたいかな。
2人の子供たちに生きることがどんなに素敵なことか
教えられる自分でありたい。
流れるような日々でも噛み締めて生きたい。
大人になっても小さな夢を見て、ちょっとずつ叶えて楽しみたい。
ちょっとの未来への希望を持ちたい。
小さな努力を継続できる自分でいたい。
そんなワードが頭の中に浮かんで。
はっとした。
全部仕事なんて二の次なじぶんのやりたいことだなと。
行きたくても生きられない人がいることと、人生には終わりがあることを
再度確認できたことと、なくなった同僚への弔いを込めて。
お別れの準備ができていなかったから、寂しくて、辛い。でも日常が流れていくことに虚しさを感じて…。また会いたいよ。
ここまでありがとうございました。