![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154281112/rectangle_large_type_2_88f851cc2edfed29416d9e95a13e4649.png?width=1200)
空の巣症候群が、慢性化しつつある。
「お母さんの人生を、と言われても。」
困惑している。たいそう困惑している。
もっともっと、楽しいものだと思っていた。
友達とアフタヌーンティー行って、ちょっと気になっていた介護脱毛調べてみたりして、ちょっと高めのデパコス買ってみようかな、ああ、もしかしたら英会話習って海外旅行もありかな、とか。
子育てが終わった後は、それはまるで「ご褒美」みたいな時間が来るのだとばかり想像していた。うちは、末っ子だけ年が離れているので、現在私の手が必要なのは、末っ子だけ。上二人は成人して自立した。
一番最初に息子が自立して家を出たときは、元気よく送り出すと心に決めて、新しいワンルームマンションに送った後、帰りの車でボロボロ泣いた。それは次第に号泣になった。自分でも驚いた。泣こうなんて思っていないのに、どんどん涙が出てくる。
「ええ、そんなタイプだっけ。」
隣に座っていた夫はコントを見ているように大きく笑った。それがまたむかついた。
「あなたに何がわかるというのか。」
この感情を、なんと名付ければいいのだろう。
喪失感…では全然足りない。そんな辞書に載っているような言葉で片付けられない感覚。その日からしばらく泣いた、というより泣けた。
家に帰ると、靴がない。ただいま、と帰ってこない。ご飯だよ、と言っても食卓に姿はない。洗濯物に彼の服はない。朝起きてもいない。仕事から帰ってもいない…お風呂で何度泣けたことか。家族に内緒で。
職場でも、後輩が困惑していた。
「え…青子さん、もしかして本当に落ち込んでますか?」
「ネタじゃなくて?」
いつも元気で圧強めの先輩が、いつものパワーのかけらもないほどになってたようだ。「待って、その話題を出されると泣くからやめて」と本気で頼んだ。ドン引きされた。
周りのママ友の中でも、うちが一番大きかったので、誰も「子供のひとり立ち」を経験したことがなく、私の落ち込み具合を見て、周りのママ友たちは私を通して、将来の自分の姿を見て怯えていた…「想像もしたくない…」と。
「そのうち慣れるっていうし…」
という慰めに「だといいんですけど」とAIみたいに返事をして…とはいえ、まだ家に二人残っているから仕事はある。子育ては山ほど残っている。それなのに、このありさまだった。
数年たって、現在に至る。当時の急性期の症状「突然泣く」とかはなくなったにせよ、あれから次に娘が家を出て…そのときも、免疫があるとはいえ、心に穴があいたような…空っぽ、というのがぴったりの気持ちで過ごしたし、今もそうなのかもしれない。
書いたようなアフタヌーンティーとか、エステとか、色々やってみたけれど、楽しいのは最初だけ。消費する趣味って、長続きしないもんだ。
どんどん子供が巣立って、長年やった仕事もやめて、家も売って…手放していく、という前向きな変化もあるんだけど、やはり「子供がいなくなっていく」のはどうやっても寂しい。この「寂しさ」と戦うのもなかなか大変だけど、もっと困るのが前述の「お母さんの人生を」というやつだ。
私の人生は、子育てと共にあった。
激務をこなすのも、ワンオペ家事育児も、すべては学費とか食費とか、子供につながると思っていたからできたことだし、激務な平日に加えて、習い事の付き添いとか当番で土日のほうが朝早くて弁当作りがあったとしても、全然苦痛ではなかった。賛否あるにせよ、私の人生を円グラフにすれば、「子育て」が98%くらいを占めるわけで。
そこの面積が、少しずつにせよ「ドカッッ」となくなったときに、子供たち全員が言う。「お母さんも好きなことすればいいよ!」と。
スキナコト
まるで知らない国のおまじないのようだ。
いやいやいや、好きなことって子育てなのよ、って思ったけれど、どうも消費期限があるみたい。それも知ってる。知ってるけどね。
急性の空の巣症候群を超えて数年たったが、全然完治しない、笑
もはや、慢性化しつつある…お付き合いしていく病気です、と妄想で医者から言われている私。
いったい、どんな薬が効くのだろうか。時間薬、なんだろうか。
子供たちを追いかけてはいけない、ということだけがわかっているルールで、それは絶対に守ろうと思っている。
あとは、その「スキナコト」探し。
まるで手探り。全然見えない森を進んでいるよう。
そのうち、「こんなところに民家が!」とか「こんなところに湧水が!」みたいなことに遭遇するのだろうか。
そのためにも、大切なのは死なないことと、歩ける体力、なのかもしれない。