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自己肯定感の低い僕がそれをやめた日の話

負けっぱなしの人生


僕の人生は負けっぱなしでした。
最初の「負け」は小学生の頃。
少年野球チームに所属していたのですが運動神経が悪く、なかなか上達することができませんでした。
ギリギリ試合ができるくらいの人数しかいない弱小チームだったから、なんとかレギュラーではあったけど、人生初ヒットを打つまでに丸一年かかったし、1試合で3回もエラーをしてポジションを交代させられたこともあります。
この頃から自分の中では「あぁ、おれってダメなんだな」ということを自覚し始めた記憶があります。

次の「負け」は中学時代。
友達につられてバスケ部に入部したものの、レギュラーどころか2軍にも選ばれない始末。
それでも15人しかもらえない背番号付きのユニフォームが絶対に欲しくて、誰よりも真剣に練習に励みました。顧問の先生に少しでもアピールしたくて必死に頑張ったけどやっぱりダメで、泣いて、また練習して…を繰り返したりしていました。
今思い返すと小学校〜中学校で「負けの味」とか「挫折」とか、はたまた「報われない努力がある」ということを嫌というほど味わっていました。かなり人生の序盤でニガイ経験をしたものです。

そして高校を卒業してお笑い芸人になってからも「負け」は続きます。
高校生の頃に出演したお笑いライブではちょっとウケたりして、高校卒業後のお笑いの学校(東京アナウンス学院)には特待生で入学しました。先輩からは「お前ら面白いらしいじゃん」などと(いい意味で)目をつけられたりして。
ようやく自分の人生に光があたるターンが回ってきたんじゃないかと思ったものです。

ただ、そこまでは良かったんですが、いざお笑いの学校に入学してからは同期にどんどん差をつけられ、全くもってネタがウケなくなってしまいました。早くもスランプに陥ったのです。
なんだか人生で経験することが全部ちょっとずつ早いな…。

その後、コンビを解散して師匠のもとに弟子入りをするも、その厳しい指導についていけず。最終的には
「あぁ、自分は面白くもなんともない、ボケもツッコミも下手くそで、ダメな落ちこぼれなんだ。才能がないんだ」
ということを実感し、号泣し、そのまま心がポッキリ折れて、お笑いから離れてしまいました。

それから半年ほど休んだ後に活動を再開させ、サンミュージックという事務所にお世話になるのですが、テレビのオーディションには落ちまくるし、ライブでも大してウケないし、同期にも後輩にも置いていかれる始末。やっぱり状況は改善されませんでした。

ようやく収録まで漕ぎ着けたテレビ番組も、オンエアを観てみたら全部カット。そこに自分たちは存在しなかったものとして扱われていました。

そして結局、地上波の番組でネタが放送されることはなく、僕は芸能界を引退しました。

そんな人生を歩んできたもんだから、20代中盤で気がついた時にはもう
「自分はダメなんだ。能力のない人間なんだ」
という固定観念が自分の中に染み付いていました。
(こうして書いてて悲しくなるくらい負けっぱなしの人生だなホントに…)


そんな中、芸人を辞めてSCRAPに入ってからは環境がガラッと変わり、僕みたいな人間がリアル脱出ゲームの司会者として少しずつ認められるようになりました。
(入ったタイミングと求められる能力が偶然ハマっただけだと思っています)

今までじゃ考えられなかったような豪華なステージで司会をしたり、
西武ドームで1万人の前で喋ったり、とんでもない体験をたくさんさせてもらいました。
「しくじり先生」や「ヒルナンデス」に出させていただいて、子供の頃からの夢だったテレビ出演を叶えることができたのは心の底から嬉しかったです。まさか芸人を辞めてからテレビに出られるだなんて、想像もしていませんでした。ベタなこと言うけど、人生ってなにが起こるかわかりません。

でも、それでも「自分は能力のない人間なのだ」という気持ちは根強く心の奥に存在し続けていて、どんなに大きな仕事をしても、誰から褒められても、それが解消されることはありませんでした。

「どうせお世辞で褒めてくれてるんだろう」
「心の中では『こいつ下手くそだな』って思われてるんだろうな」
「僕なんかが自信を持っていいわけがない」
「だって自分は何の能力もないダメな人間だから」

そんな感覚が心の中にうっすらと、ずーっと影を落としている状態。
つまり「自己肯定感の低い」人間だったわけです。

もちろん自分に自信がないからこそ、仕事に対しては真面目に取り組んだし、練習と反省と研究だけは怠らないようにやってきたのですが。

きっとこのまま死ぬまで自己肯定感が低いままの性格だけど、それはそれでいいか…と、半ば諦めるように思ってもいました。

ある日、自分の中のスイッチを切り替えた


数年前、仕事に対してモヤモヤしていた期間がありました。
詳しい内容は割愛しますが、要するにネタミとかヒガミとか、そういった類のものから来るモヤモヤです。

「あの人は◯◯のポジションを任せられているのに、どうして自分にはその仕事が回ってこないんだ」
「こんなに頑張ってるのに誰も自分を認めてくれないのか」
「必要とされていないのなら、もう仕事を辞めるべきなのかもしれない」

誰かに気持ちをぶつけるわけでもなく、自分の中で抱えた仕事へのモヤモヤ。もっとストレートに表現するなら仕事への不満と不安。

それはこれまでに抱えたことのないほどのストレスで、四六時中そのことで頭の中がいっぱいになっている状態でした。
寝ても覚めても仕事に対するモヤモヤが一向に晴れない。
そういった期間が1ヶ月…2ヶ月…3ヶ月くらい続きました。

しかし、そんな中で、心の転機は突然やってきます。

ある日、とある仕事で司会をする機会があったのですが、その日の自分の仕事っぷりがとても良い感じだったんです。
その場をしっかり盛り上げつつ。
司会者として、自分以外の出演者を引き立てつつ。
スタッフさんのちょっとしたミスもフォローしつつ。
全てをオンタイム(スケジュール通り)で進行しました。

いくら自己肯定感が低いとはいえ、さすがに自分の中では手応えを感じることのできる仕事っぷりでした。
それでも特に環境が変わるわけではありませんし、
「今日の青木はすごかったね」
などと誰かに称賛されることもありません。
あくまでも僕が自己満足をしているだけ。

だから結局その日も引き続きモヤモヤを抱えたまま帰宅して、シャワーを浴びたのですが、お湯で頭を叩きつけながら、こんなことを考えたのです。

「今日、いい仕事したよな…?」
「誰も褒めてくれないし認めてくれないけど、完璧な仕事だったと思うな…」
「それでも僕は必要とされていないのか…?」

「……いや、ちょっと待て」

「自分がいい仕事をしたのは間違いないよ」
「だったら自分くらいは自分のことを認めてあげてもいいんじゃないか?」
「誰も認めてくれなくてもいいから、自分だけは自分のことを認めなきゃ」
「僕だけは僕の味方でいるべきだろう?」
「だってそうじゃないと、やってらんないよ」

…という考えにたどり着いたのです。

「そうだよ、こんなに努力して、結果も残してきてるんだから、自分のことを褒めてあげなきゃいけないだろう」
「それに、この年齢(当時35歳くらい)とキャリア(当時18年目くらい)で、いつまでもウジウジしてる自己肯定感の低いやつ、見てられないだろ」

「そろそろ自分に自信を持って、胸張って生きてもいいんじゃないか?」


その瞬間、抱えていたモヤモヤが一気に晴れて、とてもスッキリした気持ちになったのを覚えています。

ある意味、開き直った瞬間であり、自己肯定感が上がった瞬間です。

その日をキッカケに、僕は明確に「自分のことを自分で認めてあげる」というマインドに切り替えることにしました。

もちろん今でもネタミやヒガミの心は持ってるし、仕事に対するモヤモヤが生まれてしまうこともゼロではありません。
でも、そんなときに
「まぁ気にするな。自分は頑張ってるよ。大丈夫。自信持っていこう。」
と自分に言い聞かせることにしています。
それでメンタルが安定するし、仕事に対する自信もつくんだから単純なものです。

今までは自信がなかったから、なるべく自分の意見を言ったり、誰かにアドバイスすることを避けてきました。
でもこの考え方に切り替えてからは自然とその性格が解消されていきました。

だって自分が培ってきたものや、自分の考え方には自信を持っていいんだから。
少なくとも、自分の中の自分はそう言ってくれているんです。

高い自己肯定感=プライドではない

ただし自分に自信を持つことと、凝り固まったプライドを持つことは似て非なるものです。
自信は持ちつつも、周りの意見や考え方を柔軟に受け入れる姿勢は絶対に失わないように注意しています。
でも、それさえわきまえることさえできれば、こんなに生きやすいことはありません。

以上が僕なりの、自己肯定感を上げる方法です。
みんなが僕と同じ方法で自己肯定感を上げられるのかは分かりませんが。
まぁキッカケなんて意外とちょっとしたことなのかもしれません…というお話でした。自分に優しくあれ!

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