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短所の改善なんか意味がない。良い所だけ伸ばせば良い。

ずっと苦手にしていたものがありました。
それは、ゆで卵。
圧倒的にレベルが足りませんでした。
ゆで方、ゆで時間、からの剥き方、全てにおいてスキルが不足しすぎており、到底上手く作れるようにはならないだろうと敬遠していた素材です。
我が家の晩御飯にゆで卵系のものは、ずっと出てこなかったのはそれが原因です。
いくら僕が日々成長していようとも、そもそも才能もセンスもない凡人以下の成長幅などタカが知れているものなのです。
いつまで経っても卵の皮剥きは死ぬほど下手くそなままでした。

卵は価格が高騰しており、おいそれと失敗は許されません。
殻が付いたまま中央から裂けた卵を何個も作り出しました。
そのイメージがトラウマになり、自らゆで卵を避けるようになりました。
嫌な記憶に積極的に触りにいくというのは苦痛なものです。

長らく、ゆで卵なんか出さなくても献立は回せる、そう思いながら日々を送っていました。
実際、なくても特に問題はありません。
挑戦して克服しようという気も消え失せていました。
明らかに苦手意識をもった事を敢えてやるのは、積極的に失敗作を作るようなものです。

転機は突然訪れます。
晩御飯のレシピを確認していた時です。
材料は手羽元を使うのは確定していたのですが、味付けや添え物については漠然としていました。
そんな時、ふとあるレシピに目が行きました。

これを見た瞬間、何故か「行ける」と判断しました。
勝算が生まれていたのです。
たぶん出来る、という何となくのふんわりしたイメージでしたが、いざ調理を始めるとスムーズに進められました。

これはおそらく、色んな料理を作ってきた経験値により解像度が上がり、卵に「応用」ができるようになったからだと思います。
僕はずっと、ゆで卵は作っていません。
しかし直に触らずとも、他のスキルのレベルアップにより、ゆで卵もできるようになっていたのです。
これにより、余裕でしっかりとしたゆで卵を作ることができました。

手羽元を煮込むのはもう慣れたもので、何の心配もいりません。
レシピに「豆板醤小さじ1」とあり少し不安になりました。
さすがに多すぎでは…?と思いましたが、その通り作ってみるとバランスよく仕上がっていました。

今日の事例からわかる通り「苦手な事はしなくていい」と言い続けている自分の主張が正しいと改めて思いました。
できない事を何回やってもできないままなのです。
できることを繰り返しやるのが成長に繋がるのです。

これは料理だけでなく、ギターでもそうですね。
弾けないフレーズを一生弾いていても、何十年経っても弾けるようにはなりません。
そういう時はテンポを落とす。
どれだけ遅くなっても良いから、確実に弾けるテンポまで落とす。
そして「弾ける状態を繰り返す」。
そこから少しずつ、弾けるテンポを上げていく。
これが正しい練習方法ですが、自分が現役の頃は、まあ自分も含めてやってない人ばかりでした。
しかし自分は、できない事はとことんやらなかったせいで、特別目立つ事ができるようになりました。
長所の長さで短所を見えなくする、それも生きる手段として重要です。

仕事でもそうです。
できない人にできない事をさせても絶対にできません。
やらせばできる等と妄言を吐き続けている人もたまに存在しますが、いつまでも妄言だと気付かないのが不思議ですね。
適切に指示し、助け、否定しないのが正解ですが、頭のおかしい上司や無能な経営者がよく吐き散らかす、幼稚な考えの代表格です。
「見て覚えろ」なんて言う夢の世界の呪文を唱えるキチガイも存在しますが、普通の人は相手にしてはいけません。
そんな会社はすぐ辞めましょう。

何にでも成長するにはやり方がありますし、それは人によって違ったりもします。
行き詰まり困った時は、やりたいかやりたくないか、好きか嫌いか、それを自分に問うのが正しい判断の基準です。
適正という言葉が分からない社会のゴミにならないように注意しながら生きたいものですね。

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