《理想の家族》を考えてみた。
先日、まぁまぁ大きな夫婦喧嘩をした。
次女が生まれてからよくある産後クライシス的な喧嘩をときおりしていたけど、今回は夫も「捨てられるのかもしれない」と少し覚悟した様だった。
(今は全く大丈夫です!そして捨てようなどと思った事もないです(笑))
結論、家事育児は夫婦二人だけで何とかするのではなく、どんどん外注しようということになった。
でも、夫婦関係だけは外注出来ないので、今日は理想の夫婦、家族について書き留めておくことにする。
そもそも喧嘩のきっかけはいつも、夫が「それくらいのこと」と思っていることが私にとっては大問題で「信頼関係を根本から揺るがす大きなこと」だと思っている故のすれ違いだったりする。
そして初めて理想の家族について話し合おうと思った。
理想の家族というと何を思い浮かべるか?
毎日家に定時で旦那さんが帰ってきて、家事や育児も積極的にしてくれて、休みの日には家族皆でお出かけをする笑顔が絶えない家庭?
それは行動であって、それが出来ていれば理想の家庭というものではない。
いくらそんな家庭であったとしても、愛が冷めていたら何の役にも立たないのだ。仮面家族だ。
ただ夫が思うに、私には理想の家族像があって、それに夫を当てはめようとしているように感じるらしい。
それが違ったときに、捨てようとするのでは?という恐怖もあると知った。
確かに、私がこういうパートナー、家族だったらいいなという理想を夫がぶち壊していくたびに、それでもあなたはこの人が好きなんですか?という問いを毎回突き付けられていく。
そのたびに思う。
その理想って本当の理想?
その理想が無くても愛しているかどうかは変わらなくない?
本当に大事なものは何?
そういう自問自答を何度も何度も繰り返してきて、そのたびにぶつかり合い、泣いて、改善され、構築していく。
パートナーとは鏡であり、自分自身の投影である。
相手を通じて自分を知り、相手といるときの自分を好きになっていく過程が愛を育むことなのではないかと思う。
愛とは、相手を思いやるようでいて独りよがりだ。
その人を愛していることが自分の生きる支えであり、たとえ自己犠牲であっても自分に充足感がある。
そう思うと、私は彼に傷つけられるたびに自分の想いを知り、そして自信をつけ、また好きになり成長するのだ。
自分自身が成長できるパートナーと一緒にいることが本当の理想であれば、家に定時に帰ってこなかろうが家事育児をしなかろうがそれは大した問題ではない。
やり方は理想とは違うかもしれない。
でも考える。本当の理想は何なのか。
私はとてもわがままだから
「私がずっと好きだと思える人でいてほしい」
という無理難題をつきつける。
好きだと思えるかどうかなんて、私の心次第であって、相手がどうこうできる問題じゃない。
それでも、一番大事だ。
それを笑って「よくわからないけど頑張るね」とかわし、自分の生きたいように生きている彼が好きだから、一番私の扱い方を心得ているかもしれない。
私は彼の自由なところが好きで、一緒にいると毎日が面白くなる。
自分自身も成長できると思ったから惹かれていった。
きっと、毎日定時に帰って家事育児をしてもらっていたら、彼の魅力を殺してしまう。
だから、理想の家庭を追い求めすぎると、理想のパートナーは手に入らないのだ。
ここまで書くと自由奔放すぎるパートナーに振り回されている感じがあるが、夫が私に対してゆるぎない愛を注いでいることだけは自信がある。
(むしろ私の方が揺らいでいることが多い。ごめん)
それを実感させてくれている事は実はすごい事なんだと思う。
なぜそれを感じるかというと、私に信じることを教えてくれたのは彼だからだ。
私に何を言われても、もう信じられないと怒っても、俺が君を愛していることは変わらないと辛抱強く教えてくれる。
私の言うことが支離滅裂でも、くだらないことを毎回毎回延々と責め続けようとも、絶対にかわしたり面倒くさそうにあしらったりしない。
必ず受け止めて、改善できることは改善してくれる。
出来ない時はなぜ出来ないのかも説明してくれる。
理論ではなく、感情もセットで。
理論攻めにされると納得がいかないけど、感情も一緒に教えてくれると理解が出来る。
どうしてそう思うのか、まで教えてもらわないと本当の会話が成立しないことを知ったのは夫とひたすら話し合いを重ねたすえの結果だった。
そう2人で作り上げていった信頼の土台があるから、お互い相手の言い分を受け止めるし、自分も言いたいことが思いきり言える。
「何を言っても大丈夫な安心安全の場」
が、もしかしたら理想の家庭なのかもしれない。
だから、話し合いを諦めたりしない。正々堂々とぶつかり合う。
それでも壊れないことをお互いに知っているから。
私の理想の家族と相手の理想の家族は違う。
でも、何が理想をお互い出し合って、そこから折り合いをつけていく作業をしなければ「この人は違うかも」と思って現実を見ないまま他を見ようとしてしまう。
まず、自分を知ること。それから相手を知ること。
そうして0から二人の形を作っていく。
それが出来るくらいの人は、やっぱりめちゃめちゃ好きじゃないと駄目だ。
理想から入ると、それが違ったときに減点方式になってしまう。
お互いの駄目な部分、理想と違う部分ををいっぱい見せられても、それでも「なんかわからないけど好きなんだよね」
というある種の本能的な。
でも、たったひとつ条件として譲れないのは
「お互い違う人間だと知っていて、自分の理想通りにならないことも知っている。その価値観を認め、大切にし、2人の形が作れるように話し合いができる人」
かな。
話し合いを繰り返していく中で、夫は「自分は変わらないと思う」と言いつつも、私の言い分を受け止めてずいぶん変わったように感じる。
日々の感謝の言葉や小さなプレゼント、定期的な旅行とか、大切にされていると感じられる行動。
あんなに「夜、子供が泣いても起きない自信がある」と言っていたのに、最近は私を夜別室で寝かせてくれるようになった。
夫の出来ないは「やるつもりがない」ではなく
本当に「出来ない」と自覚していること、そのうえで「頑張る姿勢はある」というニュアンスなのだと理解するのに数年かかった。
話し合いをするときには感情的にならないというのは鉄則だ。
でも、感情を抜きにするということではない。
感情はきちんと言語化して伝えたほうがいい。
「私はこう感じた」
「寂しかった」
「悲しかった」
「こういうところは嬉しい」
その時その時の感情を言語化して話し合いをするのはすごく大変だし時間がかかる。
だからこそ、本当に伝えたい相手に丁寧に伝えたいときにしか出来ない。
それをしたい人、出来る人と、これからも一緒に歩んでいきたい。
信頼関係は話し合いの中で作られる。
その土台がゆるぎないものであればあるほど、本当の理想の家族に近づける気がする。