『妻が夫にキレる理由(ワケ)』講演を聞いて
「妻のトリセツ」「夫のトリセツ」で有名な黒川伊保子先生のチャリティ講演会「妻が夫にキレる理由(ワケ)」を拝聴しました。
現在の我が家にある黒川先生の著書。
トリセツシリーズは何度も読み返しています。
妻のトリセツが発売された当時、私は夫の数々の
「わけのわからない行動と言動」に悩まされていました(笑)
夫は典型的な男性脳だった
「どうしてこの人はそういう行動をするのだろう」
「なんで、私の気持ちがわからないんだろう」
「デリカシーがなさすぎる!」
夫と一緒にいる時間が増え関係を進めていく中で、夫の典型的な男性脳思考に私は悩んでいました。
そこで出会ったのが妻のトリセツ、夫のトリセツです。
夫からもさんざん
「俺は言ってくれないと本当にわからないから言ってくれ」
と言われていた私が本当に腑に落ちたのはこの本を読んでから。
「家に帰ってボーっとしているのは情報を整理してるんだ!」
ということに気づけたのが特に大きな収穫でした。
それから私は夫が家でボーっとしているときは
「うちが安心できる場所として認識してくれているんだな」
と思い、ボーっとしてたら逆に嬉しくなるくらい。
「男女の脳はそこまで違うんだ」と気づけたことで、お互いの違いを認めて考え方を尊重し合うようになりました。
我が家は対話や議論を重ねた結果、いまは選択制ワンオペ&半別居婚ですが、夫婦仲はたぶんめちゃめちゃ良い方です。
その理由も何となく今回の講演で更に分かった気がします。
今日の講演会で特に参考になったフレーズを書きながら、我が家のパターンも書いてみようと思います。
共感脳と問題解決脳の使い分け
よく男女の脳の違いで言われるのは
「女性は共感脳で男性は問題解決脳である」
ということ。これは、どちらかしか持っていないということではなく、どちらも持っているけどとっさの時には性差が出やすいという話です。
シーンによって私たちは使い分けていますが、より長くいて本音が出やすい夫婦になると自分の利き脳を無意識に使ってしまうのかもしれません。
前は私の話を「うん、うん」と聞いてくれたパートナーが結婚したとたん「それは君が悪いんじゃないの」と返すようになった…
などはよくあります。
面白かったのは、共感型の脳の人は
『相手の5W1Hは威嚇だと思う』
ということ。例えば夫からの
「今日おかずこれだけ?」
は、男性側は
「おかずをこれで食べたらいいのか聞いている」
に対して、女性は
「今日の夕飯に不満があるってこと?」
と捉えてしまう。
この説明は著書にも書いてありましたが本当に腑に落ちました。
この男性のWHY?に関しては、女性の愛情深さや母性、そして母親はこうあるべき、も加味しているかもしれません。
(男性も例えば妻から「今月のお給料はこれだけ?」と聞かれたら威嚇に感じるのではないか…それは妻が本当に不満があるので意図して言っている場合ももちろんあるけど。お互いに、プライド領域を侵されたときに誤解を生むのかもしれませんね)
我が家も、昔その話で議論をしたことがありました。
そこで出した結論は
「夫のWHY?は嫌味でもなんでもなく本当に純粋に小学生が何で?と聞くのと同じニュアンスだから、そのまま受け取る」
ということ。
実際、夫は本当に嫌味や不満を私に一切言わないので、安心して夫のWHY?に答えることができます。そして私も夫に容赦なく
「なんでそう思ったの?」
「どうしてこういう行動したの?」
と聞くことができます。
何故?を問うのは責めているわけではなく、相手の意図を知りたいのです。
そのくらい夫の行動が謎すぎるときが多々あるのです。
我が家のWHY?プロセス
例えば、最近はこうです。
「夕飯は夫が会食になったら無理だけど、万が一会食がなかったら一緒に食べよう。夕飯が無駄になったら嫌だから外食にするので、わかり次第連絡する」
という約束をしていたのに、夕方の電話に私が出られなかっただけで夫が先にひとりで食べて帰ってきたときがありました。
私は会食がなかったら一緒に夕飯を食べるつもりで準備していたので、とても楽しみにしていたので、その後寝込むほどショックをうけました。(私はショックな事があると脳がフリーズしてとにかくいったん寝てリセットします)
育児を全部放棄して寝たのでその後の子どもの寝かしつけは全て夫がしてくれましたが…
その後、思考の整理がついて、話し合いをしました。
私は
「なぜ電話に出られなかっただけで先に食べて帰ってしまおうという結果になるのか、そのプロセスが知りたい。私と子どものご飯も用意していないし、そっちに気を使ってもらえなかったのも傷つく」
という話をしました。
夫は問題解決型なので
「電話に出られない=夕飯は各自で(子どものことも君に任せた)」
という結論を勝手に出していたそうです。
要するに、約束のニュアンスがずれていたという話でした。
過ぎたことを責めても仕方がないので
「私はそういうことをされると家族が蔑ろにされたようですごく傷つく。でもあなたが私に連絡がつかない時にはそういう思考になるのは今わかった。わかったので、2人の間にルールを作ります。私はあなたからの電話を取れるように着信音を変えて必ず出られるような仕組みを作る。あなたは予定が判った時点で電話なりLINEなりこまめに連絡を入れて欲しい。
ただ、ルールを守れなかったとしても、決して自分を蔑ろにしたりしているわけじゃないのは理解したので、そのことで私は傷つくことをやめます。」
というような話だったかと思います。
今まで自分のルールで生きてきた相手の思考回路をいきなり変えるのは難しい(それはお互いに)
だから、努力目標であり、守れなかったらまた何度でも話し合ってお互いをわかりあおうという環境を作っています。
一度、このルールを作ってみて、どうしてもできない、もしくはそれが相手に負担であればまた改善策を考える。
家族はお互いの少しずつの努力で良い関係は作れますが、それがどちらか一方もしくはお互いがあまりにも負担であれば、無理をしたルールになるのです。
話し合いをしたりルールを決めるときには
・そのルールは負担なくできそうか?
・こだわりを譲歩できる部分はあるか?
を検討して、たとえば上記の例では
「もし夫が連絡することを怠ったとしても私はそれを気にしないようにする」
ことはできるので、自分を傷つけないためにもこだわりを捨てることは大事です。
逆に
「どうしても連絡することを徹底してほしい」
というこだわりを持ってしまうと、夫の性格上連絡を怠ることは今後も頻繁に起こるのでそのたびに無駄に私が傷つくことになる。
そんなことをしても、夫が私を愛していないわけではないし、別のかたちで愛情をもらっているのだから。と切り替えます。
その後、約束していた外食の場所に後日夫に連れて行ってもらい、私の機嫌は治りました。
「相手を傷つけてしまったことには開き直らず誠意を尽くして謝る。フォローする」
ことができる&私が悲しむことを面倒くさがらない夫なので、私も安心して寂しかった、悲しかったが言えるし、ただ夫を責めるだけではなく自分の考え方も直すねと折り合いをつけることができます。
コミュニケーションの奥義
講演の中で、コミュニケーションの奥義として
『人の話は共感型で聴き、自分の話は問題解決型でする』
という一文がありました。
どちらの型でも、話し手は共感されると嬉しいし、聴き手は結論からの話は入りやすい。なので、それだけ意識していればOK。
上の子にも共感型で話をしようという言葉も腑に落ちました。
私も第一子で長女なので、長女を同じように共感型で話したり
「〇〇してもいい?」
とお伺いを立てる(これは全ての子どもにそうしています)
相手の都合を無視しないというのは夫でも子どもでも言えることですね。
そして
『「返して欲しいことば」を相手に与え続ける=家族対話の基本』
これは本当に私も実感しています。
自分がとげとげしていたら、相手も同じように返してきます。
家族だからこそ、丁寧に関係を紡いでいきたいですね。
産後になぜ夫婦仲が悪くなるのか?
出会った時から私と夫は、お互いの考え方をわかりあおう(特に私が。夫の考え方が本当に謎すぎるので…)として、ずっと話し合いをしつづけ、対話のワークなども取り入れながら、おそらく出産前は相当本音でぶつかり合ってきたし、子どもが生まれて関係性が変わってしまわないように努力したと思います。
それでも、産後の疲れとホルモンバランスは自分でも無意識のうちに相手を攻撃してしまいます。
これは昨年両親学級セミナーで話した私と夫の産後の喧嘩。
言ってはいけないワードを連発していました。
今ならわかりますが、本当に疲れていたんです。
あと、黒川先生も講演で仰っていましたが
『夫にイラつく理由=母性』
だと。
母親は子どものために自分の資源(時間、意識、手間、もの)を惜しみなく与えようと脳のセンスが働き、夫にも同じように求め夫の資源を自分の者として使おうとする…。
確かに納得です。プラスして「この子は夫の子でもあるのに」というバイアスもかかっていそうです。
「出産しても夫の仕事には理解を持って自由にさせてあげよう。仕事している夫が好きだし」
と思い、実際ひどい産後クライシスにはならず努力した私でも今思うとその脳のセンスは働いていたのかもしれません。
なので、産後は今までの理屈や話し合いでは通用しなくなり、アップデートが必要ということは理解したほうが良いかと思います。
大丈夫、正しく話し合えば、更にお互いに理解が深まり仲良くなります。
コミュニケーションの成熟度
コミュニケーションの成熟度には3段階あるそうです。
1.自分の感情を垂れ流す
2.自分の事情を言い募る
3.相手の事情を慮り、気持ちを慰撫する
具体的には
《男性の場合》
レベル1「うるさいなぁ」もしくは無言
レベル2「仕方ないだろ」「俺も忙しい」
レベル3「心配かけてごめん」「悲しい思いをさせたね」
《女性の場合》
レベル1「ひどい」「許せない」
レベル2「してくれるって言ったじゃない」「どうしてそうなの?」
レベル3「あなたも辛かったよね」「大変だったものね」
というような感じです。
お互いにレベル3の会話を常に心がけていれば、思いやりのあふれる夫婦関係ができる…
これはまさに実感していて、とにかく相手を労わることにフォーカスをすると、労わりあいの循環が生まれます。
夫はこれがうまくて、私が
「寂しかった」
と言えば
「辛い思いをさせてごめんね」
と返してくれるので、私も
「こちらこそ、いつもありがとう」
と素直になれる気がします。
妻ファーストで家庭を回す
私が黒川先生の著書を読んで実践している事の中に
「夫は妻ファーストで行動する」
というものがあります。
究極を言えば、我が家が私がワンオペでも不満が出ないのも、夫を愛しつづけられるのも、全て夫が私ファーストで動いてくれるからだと思っています。
夫には妻のトリセツの内容をざっと説明し
「私を一番にしてね」
というルール(?)を作り、それを忠実に守ってくれています。
子どもがいうことを聞かない時は夫の制裁が入ります。
その時は必ず
「ママになんてことをしたの!ママに謝りなさい!」
(もちろん本当に子どもが私に悪い事をした時ですが)
と言ってくれます。
「俺は君を一番大切にする、君は子どもを一番大切にして」
というのが夫の持論です。
その約束のおかげで、私は夫に全信頼を預けています。
セミナーの質疑応答の中で
「私が子どもを叱ると夫が子どもをかばうんです」
という質問が出ました。
妻だけを悪者にして、自分が子どもの味方をする。
叱るのは妻ばかり。
そうすると次第に夫・子どもVS妻の構造が出てしまいます。
これは私も絶対にしちゃいけないと思っていて、家庭のキーマンである妻の尊厳や地位を夫が無意識に奪うことで、妻だけを家庭ののけ者にする、最悪子どもも母親を下に見たりバカにするという構造ができます。
黒川先生は
「子どもの教育や家事分担にしても、誰がリーダーになるのかを決めて、上司と部下の関係を作るといい」
とおっしゃっていましたが私も同感します。
家事育児分担、その他家庭の諸々の決まりごとは、どちらか得意な方を責任者にしたほうがスムーズに回るのです。
少し昔の話ではキッチンは妻の戦場、だから夫は入らない…ということもありましたが、さすがに今はそんな時代ではないですがきっちり役割を分担し「お互いがその役割に満足している状態」(これが重要!)であれば、相手のやり方に口出しをしたりイライラしたりすることもなくなるのではないでしょうか。
我が家に関していうと、家事育児を含めた日々の営み、細々としたことは私がメインで動いています。
夫といるときの家族の動き方(我が家は半別居婚なので夫と毎日一緒ではありません)旅行先で何をするかや子どもの教育方針は夫が決定します。
大事なのは、その家庭においてのキーマンが誰かということ。
日々、ご機嫌でいることで一番家族が安定するのはやはり母親なのではないでしょうか。
家庭の中ではほっと安心できる場所を作りたい、港のような存在でいたい…。
そう思うからこそ、私も笑顔でいられるように無理をしないようにしているし、夫もサポートしてくれているように感じます。
夫婦関係で大事なこと
私が思う夫婦(親子)関係で大事なことは
「相手の尊厳を奪わない」
「相手を尊重する」
ことだと個人的に思っています。
それは相手に対する言葉や態度で、あなたを尊重しているよという姿勢を見せること。
尊厳のポイントは人によって違うので、話し合う必要はありますが、それでも相手を下に見たり、自分のもののように扱うことをしないだけでもだいぶ変わるはずです。
「言ってくれればやったのに」の真意
私は夫に、夫あるあるの
「言ってくれればやったのに」
を何度も言われています。
「言わなくても察してよ!」
と返すのが様式美ですが、ある時
「どうしてそう思うの?」
と聞いてみたことがありました。
夫の性格上、けして私を困らせたいとかではないと思うし、本当に察することが出来ないのかもしれない…と思って、とにかく真意を聞いてみたかった。
夫の答えは
「察して、これかな?と思っても「違う!」と怒られるなら、言ってくれたことをやったほうがお互いにスムーズに進む」
というものでした。
夫から見たら私は謎のこだわりやルールがある人に見えるらしいのです。
そうか、私のことを見ていないのではなく、相手を尊重した最適解を探した結果、言われた指示に従うことが一番合理的だと思っているのだな、と納得しました。
その時から、私のルールが強い家事育児に関しては主に私が担い、私が出来ない部分(車の運転や家電関係、お金のこと)は夫に任せ、やって欲しいことはきちんと口に出していうようにしています。
相手の状況を察する技術
相手を責めたくなったら、自分の今の状況を相手の立場に置き換えて考えるようにしています。
そうすると意外なほど性差バイアスが無意識のうちにかかっていると感じます。
先日、こんな意見を見かけました。
「私が体調が悪くて寝ている時に夫は家事をしてくれていてそれがとても申し訳なく罪悪感を感じたのだけど、同じように私が家事をしていてもゴロゴロしている夫は私に対して何も感じないのだろうか」
これを、少し立場を置き換えて考えてみます。
私の場合、車の運転がそれにあたります。
夫が車のメンテナンスをしている。
私はぺーパードライバーで車の事がわからないので、夫がリーダーだと思っている。
夫がメンテナンスをしていることに私は
「自分も手伝わなくて悪いな」
とはあまり思いません。それは相手の仕事だから。
もしかしたら、夫もそういう目でパートナーを見ているのかもしれません。その代わり、別のところで役割を果たしているのだから…と。
いずれにせよ、どっちがどれだけやっているかの議論は不毛です。
家事育児分担は手段であって目的ではない
我が家は家事育児は基本私が行うことが明確化されていますが、そこに対して不満を感じないような役割分担を作りました。
家事育児をきっちり分担することを愛情表現だと感じてしまうと、同じように思っている相手じゃないと価値観の相違が発生して辛いかもしれません。
(これはゲーリーチャップマンの「愛情の5つの言語」を読んでいただくとわかります)
大事なのは
「家事育児分担はどうするか」
ではなく
「お互いが自分の役割に満足し、自分らしくいられるための家庭づくりはどうするか」
だと思っています。
なので、近年の
「家事育児分担をしっかり行うのが良い」
という風潮はどうにもしっくりきません。
それが合っている人ならいいと思うけど、合わない人もいますよね。
「家事育児をきっちり分担してくれる夫」
は私が結婚する時の必須条件では全くなくて、この人がなにも出来なくても私が支えていきたい、と思ったので一緒にいたいと思いました。
夫は決して家事育児を放棄しているわけではなく、やり方がわからないわけでもないので私のヘルプには対応できるし要望には全力で応えてくれます。
むしろ私の方が「あなたが全力で取り組みたいことに充ててほしい」と思っています。(あとは私が家事育児を「やってあげてるのに」と思うまではしないと気を付けてるのもあります。子どもと一緒にいるのが基本的に好きです。)
これは我が家が出したいまの結論なので、また環境や気持ちが変化したら都度話し合いをすると思います。
家族は常にアップデートです。
お互いの価値観が変われば、それに合わせて家族の在り方も変えていかなくてはいけません。
でも、基本の「相手を尊重する」をお互い心掛けていれば、大丈夫な気がします。
黒川伊保子先生の「妻のトリセツ」はこちら
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