頭の中で千鳥を飛ばす/対話型鑑賞で巡る淡路島 瀬尾隆二編 【開催レポート】
みなさん、こんにちは。淡路島在住のファシリテーター青木マーキーです。
最近、取組中の対話型鑑賞。僕が住む淡路島でやるときは「生きている作家さんの作品を巡り対話し、アトリエや制作拠点も訪ね、作家さん行きつけの食事処で美味いもんを食いながら交流する」というスタイルでやっています。今回は画家の瀬尾隆二さん(日本画を描くときは矢吹芳寛と号する)の作品にフォーカスしての開催。以下のように広報したところ、ありがたいことに5名の参加を頂きました。
襖絵に迫る
洲本にあるバスセンターに集合したのち、一同が向かったのは遍照院というお寺。淡路島のなかでも立派なお寺で落語会やコンサートなどの催しもなされているため、沢山の方に親しまれている寺院です。応接間のように使われている和室の襖絵三点をじっくり鑑賞するところからスタート。
「作家さんは細部に至るまで心を込めて描いてくださっています。近くで見たり、引いて見たり、角度を変えたり、じっくり隅々まで見てみましょう」とファシリテーターから声をかけて、じっくり見る時間を取ります。ここは焦らず、たっぷり取るのが好き。
僕が教わった対話型鑑賞では「この絵のなかで、何が起きているでしょうか?」と問いかけることからスタートする。いわゆる「第一の問い」だ。すると参加者から、ぽつり、ぽつりと言葉が出てくる。同じ絵を見ても、感じるところは人によって違う。その違いや味わいを対話することで、皆で1枚の絵に迫っていくプロセスが、僕は好きだ。
それはどこから?
しばしの沈黙ののち「もやのような空気の層が感じられます」と第一発言をいただく。「それは、この絵のどこから感じられますか?」ときくと、参加者は襖絵に近づき「このへんが、ぼうっとしている。木の根っこのところが、はっきりと描かれてないので、もやがあるのかな、と」。さらに「作家さんの観察力がすごいな。少ない色合いでここまで表現できんだな」とか「やわらかい感じ、乾燥している感じ、カリっとしている感じが、葉っぱの曲がり具合から感じられる。カサカサしてそう」など。「絵は音は表現してないけど、そういう音が聞こえてきそうですね」と受けたりもする。
「3枚ある襖絵だけど、この絵だけ浮いて見えますね」「というと?」「立体的に見える」「あー、そう、たしかに立体感があるね」「極楽浄土にも思えるし、あの世にも見える」と、スタートからがんがん絵にせまる私たち(あぁ、楽しい)。
なかには「この絵は一枚じゃなく、貼り合わせているんですね」と表具の仕上げに関する話題になったり「その線は水平線かと思ったけど、やはり2本あるから貼り合わせか」とか「このお月様のような丸くて大きな円は、どうやって描いたのかな?」という描き方についての発言も出てくる。
「太陽にしても、月にしても、めっちゃでっかい。この大きさに感じることは自分はない」「今の季節かな? 冬の、葉っぱもおちて、人気もなく、朝、気温があがって、もやっとしている太陽のようにも見える」など、この絵が描こうとした、季節や時間帯に関する指摘もいただく。
この絵がこの空間にあることの意味
「なぜ、この空間にこの絵が配置されたのか」「依頼主がお寺さんだから、人の生死を意識したのかもしれない」「そう見てみると、この枯れた花たちは人のようにも見える」「なんだか観音様がいるように感じる。あったかみがあるから。観音様を奉っているお寺かどうかと知らないけど(笑)この枝も観音さまのお手々みたい」「あったかみは、この絵のどのあたりから感じますか?」「この枝の伸び方、濃淡から、すごく温かみを感じます」と、だんだんと絵に肉迫してゆく。
お寺という空間にこの絵があることの意味合い。お葬式や法事の時に人が過ごす場所にある絵の細部にも入っていける。
「よく見ると、この木は、若々しいところと、枯れて死んでいくところの両方が含まれている。ほら、よく見てみると芽吹いている部分も」「この木の中に、生きているところと死んでいるところが同居していると感じているんですね」「お寺だしね。花の中に種もありそうだし、なんかそんな気がしてきた。輪廻転生っていうか」「たしかに種はしっかり描かれているね」
こんな感じで、対話型鑑賞は、その絵に描かれた何かを感じ、受け取ったものを交わしながら、皆で作品に迫ってゆく感じです。
僕のスタイルでは、しばらく鑑賞したのちに、作品名と制作年を伝えることが多い。それを聞いた参加者は「36才で、この絵をかけるか?って言われると、なんか深いよね」「外国の人ならこんな絵は描かないような印象があって、日本人の心の絵のような感じを受け取る」という発言が出た。さらに「日本人らしらは、どのあたりから?」ときくと「空白とか、余白とか、生け花とフラワーアレンジメントの違いというか」と言葉が続く。こうなってくると、1枚の絵を何時間でも見ることができる。
「この絵の向こう側にいくと、もう帰ってこれなさそうだね。イヤな感じはしないけど、向こうの世界を感じる。誘われている感じもあるけど、まだちょっといいかな(笑)」などと話して、この絵の鑑賞を終えた。
1つめの作品を終えたところで、近くの食事処・圓に移動。ここには作家さん33才のころの作品が多数かざられている。出てくる食事のクオリティが高く「え、これ本当に参加費に含まれているの?めっちゃお得!」と喜んでいただいた。刺身やブリ大根や、天ぷらや、淡路牛や、淡路玉ねぎステーキを堪能している店内にも作品が配置されている。書家さんとのコラボ作品で、ダイナミックな字のわきに椿や鳥兜などの植物画が配置されている。いずれも、小さな花たちではあるが、かなり精密で見所がある。「トイレにもいい作品があったよ」と誰かが言うと「私もトイレ」「せっかくなら私も」とトイレ渋滞が生じた。作品が島民の身近な場所に配置されているのは、淡路島在住の作家ならではの距離感。
地平線か海面か?
美味しい食事をたんまり頂いて、午後は西海岸にあるホテル・あわじ浜離宮へ。こちらのロビーや客室にも、この作家さんの作品がたくさんある。対話型鑑賞の対象として選ばせて頂いたのは、湯あがり処の休憩スペースにある「千鳥松図」だ。作家さん40才の年の作品。こちらのホテルがオープンしたときにお納めしたものらしい。あの独特のメロディで知られるホテルニューアワジ系列のホテルには、この作家さんの作品が多数収められていて、作家ファンであれば宿を変え、部屋を変えて、色々お泊まりしたり温泉めぐりしながら作品を楽しめる。
「では2つ目のこちらの作品でも、皆さんと一緒に作品を味わっていきましょう」とスタートすると、ホテルスタッフの方も「私どもの勉強のためにも聞かせて下さい」とご一緒頂く流れになった。
「どんな感じがしますか? この絵のなかで、何が起きていますか?」
「この月だか太陽だかの円や、松の葉っぱ1本ずつを、どうやって描いているんだろう? ちょっと想像がつかない」「後のすーっとした白い線は、地平線か、海面か。月明かりに映える地面のようにも見える。だとするとあの円は月か」「いや、ここは淡路島の西海岸で夕陽がウリのお宿だから、夕暮れの太陽かもしれない」「先ほどの作品はお寺にあってとても静かだったけど、この作品はホテルにあることもあってか、生命力を感じる」「左から2つめの鳥は、風を受けている感じがする」「この鳥、スズメにしては足が長い気がする。スズメじゃないのかな」「鳥たちのなかにも色々個性があって、若い子や、体格のいい子、筋肉質な個体もいる」「筋肉質と感じたのは、どのあたりから?」など、時々ファシリテーターから問いをはさみつつ、次々と話が出てくる。
同じ作家で複数の作品を鑑賞すると「さっきの作品ではこうだったが、こちらの作品ではこうだ」という比較もできて、面白い。一人の作家さんの作品を合計で40点ほど観察し、そのうち6つほどの作品で対話型鑑賞をすることができました。
作家の目前で対話型鑑賞
ある作品では、対話型鑑賞をしている最中に、作家本人が部屋にはいってきたこともあった。僕は彼が輪に入って何か発言するのを手で制して、後ろの方で聞いていて頂くようお願いした。作家は僕の意図を理解して、すぐに気配を消した。
「作家さんは1枚の絵を描く上でも、とても心血を注いでくださっています。だから、私たち鑑賞者も、すみずみまでじっくりと作品を見て、味わう時間をたっぷりとって、そのうえで感じたことや、考えたことを分かちあってみたいと思います」といって時間をとる。
この空間は淡路島で人気の雑貨屋さん そらみどう の二階。作家のパートナーさんが経営するこの空間では、よく個展もひらかれていて、今回は15点以上もの作品を私たちのために配置してくださっていた。(対話型鑑賞ツアーのためにギャラリーをセットしてくださったのは、本当にありがたい)。
Q:どんな感じがしますか?
ここでは僕が個人的に大好きな絵で対話型鑑賞の時間を頂いた。どんな感じがしますか? と聞くと、、
「時間が止まっているような感じがします。長くここに留まっているような」「こちらは蓮の葉っぱですよね。美味しそう」「どのへんから?」「このへんですね」「蓮の葉っぱなんて、じーっと見たことないから、こうやって葉脈が広がっていて、だんだんふくらんでいる感じが、どうやって描いたらこうなるんだろう? どれだけ寄って見てみても、線が見えないんだもん! すっごい細い線なのかな」「触り心地が全部違うっぽい。茎は茎、鳥はふわふわしてそう、お花はちょっとつるっとしてそう」
「先ほどの絵では、風を感じるという話題がありましたが、この絵からは、味覚や触覚を感じるんですね」「時の流れをけっこう感じる作品で、花はひらくんだろうな、鳥は飛び立っていくんだろうな」「ちゃんと池の中にあるんだな、と感じるのが、すごい」など、絵の細部から、だんだん絵の持つ意味合いに話題が深まっていく。
「皆さんが立っている位置を変えてみましょうか。角度が変わると見えるものが変わるかもしれない」とファシリテーターから立ち位置の変更を促すことも。
「正面から見ると無風状態と思ったけど、こちらから見ると、なんとなく空気の流れを感じる」「この絵の前の空間が聖域になっている」「静謐さというか聖なるものを描いている感じがするのでしょうか」
「この鳥は、誰なんだ?」「この鳥がいる意味を考えているんですね」「なんで、この鳥がいてくれているんだろう」「いなくてもいいかなと思って鳥を隠して見てみたけど、やっぱりいてほしい」「鳥じゃないかもしれないですね」「何を見ているんだろうな、この鳥は」「昔学校の先生が、黒板書きながら私には後に目がついているんだよ、といって生徒を指導していたけど、この鳥も、背中からこっちを見ている感じもある」「ここに力がたまっている感じがある」「瞑想に良さそうな作品ですね」などなど、力ある作品を前に、言葉が泉のように出てきた。
この作品は今まで見てきた作品のなかでもっとも最近の作品で2023年、作家さん50才の時につくられた『蓮池翡翠図』です、僕の大好きな作品を一緒に見てくれて、どうもありがとう、と作品名と感謝を伝えてシメた。
まだ解説してないのに、そんなん分かるんや
真後ろでみなの発話を聞いてくださっていた作家さんから、お言葉をいただけますか? と話を振ると「そんなん分かるんやー!と思いましたね。この作品はもともと2016年から屏風絵として描いていたが、事情があって途中で寝かしていた作品です。元の構想ではヨシゴイという鳥を描く予定でした。2023年に友人が亡くなりまして、もう一度この絵に取り組む流れが来たので、彼にちなんで川蝉を描くことにしました。彼が天国にいくイメージで、全部一新して、書き直したものです。みなさんが観察して発言されていたことは、全部言い当てている感じがあって、僕がまだ解説してないのに、なんでそんなん分かるんや?と思いながら聞いていました」とのこと。
このあたりが対話型鑑賞の面白いところで、作品のキャプションや解説文書を読まなくても、オーディオガイドを聞かなくても、作家自身に説明して頂く前であったとしても、皆でじっくりと作品を味わって対話すると、ある程度のところまで作品の本質に迫れる。(僕のファシリテーションでは、毎回そこまでいけるわけではない/お稽古して打率を上げて行きたい)。
よく「私はアートは分からない」と発言する方と出会うが「何人かでワイワイ見ていったら、分かる可能性はそこそこあがる。鑑賞する側の共同作業で、いっしょに作品を深く味わうことは可能だ!」という点が、僕にとっての対話型鑑賞の面白いところ。なにせ、僕自身も一人では、そのアート作品を充分に読み解けないことが多い。そう、僕もアートが分からないほうの一人。
作家行きつけの寿司屋で一杯
その後、作家さんがどのようにこの作品を描いたのか、どのような墨を使って作り上げたのか、どのように筆を動かしてこれを仕上げたのかについて、ギャラリーでお話しを伺い、さらにつもる話は作家行きつけの寿司屋に移動して、お話し伺いました。作家さんがとても苦労した時代の話、描きすぎて手が動かなくなった時の話、別分野の天才と出会って作家をやめようかと思っていた頃の話など、たくさん伺えました。そういうプロセスを経て生み出された作品たちの重みを、さらに味わう時間となりました。さらに 二軒目に伺ったスピカロース・ザ・バーにも作家さんの作品があり、わいわい夜は更けてゆく。
茶席でも対話型鑑賞
2日目は淡路島アートセンター発祥の地でもある日の出亭にて過ごします。この日は会場で「青春」をテーマにした作家さんの個展のようなものが開かれていました。入場料には茶菓子がセットされていて、来場した皆にはお抹茶が振る舞われます。その背景にある絵を拝見し、しばしの対話を楽しむ。
頭の中で千鳥を飛ばす?
2日間かけてたっぷりと対話型鑑賞を行ってきたうえで、ゆるりと感想を語り合うなかで、いくつも印象深い話をが交わされました。
僕が特に心に残ったのが、鑑賞者と作家さんとのこういうやり取り。
鑑賞者「あの松林での千鳥の絵とかを見ていると、どうやって描いているのか、不思議になりました。松などの植物であれば、目の前においてじっと観察することが可能です。でも、千鳥のように目撃が難しい鳥は、どうやってあの羽ばたきや、風を受けてホバリングする姿を描けるのでしょうか? 観察がすごいんだろうなとは思うんですけど」
作家「絵を描くとき、もちろん観察が基本です。でも、実際、じゃああの鳥が、あういうポーズをしている様子を僕が見て描いているかというと、ちょっと違う。松の木を観察するときは、一本一本の松の葉っぱがどのように生えているか?という構造をよく観察するんです。千鳥を観察するときは、どのように骨格があって、どういう風に羽根が生えていて、どういう感じで足が動くのか? その鳥の構造を観察して頭にいれます。で、しっかりと千鳥の構造が頭に入ったら、僕は頭のなかで千鳥を飛ばすことができるんです。で、頭のなかに飛んだ千鳥を描いているわけです」
僕はこの話を聞いた時、とても大きな衝撃を受けました。「この作家は頭の中で千鳥を飛ばせるんだ! だから自由自在にいろんなポーズの千鳥をあんなに活き活きと描けるんだ」と驚きました。
同時に、自分がファシリテーターとして自由自在に動けているときは、その組織の構造や人間関係、起きている事象の骨格のようなものを掴めていることに気がつきます。「僕はもっと、ものごとや組織の構造に着目して、そこを理解しながらの本質的な仕事がしたいんだ」と、自分の仕事に役立つ発見があったのも、大きかったです。
参加された方々は、住んでいる地域も職業もばらばらですが、きっとそれぞれの仕事や暮らしにおいて、いまこの時に必要な視点を学んで帰ることができたんじゃないのなか、と思います。
作家年表とともに旅する
僕が開催する「対話型鑑賞で巡る淡路島」では、作家さんにご協力頂いて作家年表を作るようにしています。今回、対話型鑑賞で取り上げる作品が作家の人生のなかでどのあたりに位置づけられたものなのか? この作品に取り組む前に作家の人生に何が起きていたのか?を把握すると、さらに作家理解、作品理解が深まるかな、と思ったからです。
先ほどの「頭のなかで千鳥を飛ばす」でいくと、この作家さんはキャリアのスタートは油絵の研究に始まり、その次に漫画家としてデビュー。その後に、日本画・東洋画のスタイルでお仕事を深めてゆくことになります。
登場するキャラクターを頭のなかで360度回転させて、自由自在に描く、というのは実はマンガ家時代に発揮していたお力のようです。子どもの頃に鳥山明さんや宮崎駿さんに影響を受けた作家が身につけた素晴らしい能力。あぁ、子どもの頃にマンガを読みふけっていた時間が、こうやって後の人生に役立つ時が来るのって、ステキだな。
もっと場数を踏みたいな
対話型鑑賞を学び初めてまだ1年ちょっとですが、ようやく自分なりのカタチが見えかけてきました。もう少し場数を踏んで精進したいところです。もしも、皆さんが住むまちで、対話型鑑賞のファシリテーターが必要な場合は、こちらからメッセージして下さい。僕自身、フットワークは軽いほうなので、日本全国、あるいは世界中のどの美術館でも、どのギャラリーでも、道ばたにあるどの彫刻であったとしても、喜んで伺います。
というわけで、僕が最近はまっている「対話型鑑賞」の実践レポートでした。いやぁ面白かったな。やれてよかったな。また違う作家さんで、「対話型鑑賞で巡る淡路島」のシリーズをやってみようっと。次は誰にしようかな、とワクワクしています。淡路島での企画は食事もべらぼうに美味しいのでオススメ。
長文レポート、最後まで読んでくださってありがとうございました!