日記 他信と他者肯定感。
友達のお姉さんのお店へ
ド派手でカッコよいのである。お姉さんとは久々にあった、子供好きなのは初めて知った。
で、今日はこの前の友達と飲むことに、
この前は酔っ払って
膝を擦りむいたらしい
この前は2年間で一番飲んだので、今日は大人しくかっこよく帰ろうと思いビールだけを飲み続ける
『同じものを飲み続ける作戦』
を使おうとしたが、姉さんから『いや、それでも酔っ払うよ』と言われた。し、知らなかった。
で、一時間ぐらいしたら
なんか違うものも飲んだ。
で、昨日起きた事を全部書くと1万字を超えてしまうので、昨日とくに印象深かった話を
私がこの前
こういう日記を書いたのだが、ある人に
「これは間違ってる。じゃあ酒のんだり、賭け事をずーっとやって人生崩壊して幸せなのか?」
と言われ
「何処にでもいるな。お前みたいにあげあしとって喜ぶ馬鹿はよ。」
みたいな事を更に厳しめに言うと
「そもそも人に幸せって言うのがわからん。妬みをかう。てかお前は幸せじゃないのが見え見えで無理して幸せって言ってて惨めじゃないの?」
みたいな事を言われた。
で、そんな事あったので
『ひょっとして幸せと言ってはいけないのかも』と、ちょっとだけ思っていたのだ。
そして、その事を友人に話すと
「青木君、そいつの意見が1だとしたら俺の意見は1億ぐらいの力があると思うんだ。で、その俺が『青木君は立派。すごい。』『幸せと言っていい』と言ってるんだからいいんだ。そいつの意見は聞かなくていい。」
俺は衝撃が走った。
本当に走った。
だって、もしも自信が無くなっても
『いや俺が信じてるから大丈夫』と、
こんな俺でも信じてくれる人がいるのか、と思えるじゃないか。
自己肯定感が無くても他人が肯定してくれるなら心に何かが満たれていく。うわあ!宗教ハマる人の気持ちわかったかも!
そうか、そう思うと他人にわけわからんことを言われても
『俺は今自分を信じられないけど俺を信じてくれてる人がいるから大丈夫』
と言える。
そうか‥今までもそういう人がいたけど、今初めて心に届いた。
例えこの状態になっても
『信じてくれてる人がいる。』
と思えば味方の言葉は届く。
そうか、SNSを含めて俺の周りは本当に良い人ばかりでよかった。
俺は幸せだ、と今は胸を張っていえる。
ありがとう。