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新横浜日記6

一月ぶりくらいに新横浜へ。すっかり夏になってしまい、今日もとても暑い。夕方16時過ぎに新横浜へ到着。
到着するなりその足で駅前のロータリーへ。
(今日の計画としては駅前での前回に引き続きの弾き語りアクション。それと川沿いの公園でのドローイング系のアクション。黄さんが合流する予定だったのでそれを伴いつつ臨機応変にと思って。)

ギターを準備し早速ライブをと構えたところ人に話しかけられる。
以前にも僕をここで目撃したらしくその時の歌良かったですよね、とかそういうことを言われた。なんとまだ一回しかそこでやっていないのにも関わらず2回目で再び出会ってしまった。もしかしたら前回も同じくらいの時間だったのかも。あまりにも嬉しかったので一緒に記念写真を撮ってもらう。2回目にして本当に路上ミュージシャンなどでありそうな体験をしてしまい、こっちの方こそ正直に言えば驚いてしまった。看護学校の学生ということで2人の友達を連れて3人で帰るところだったみたい。
せっかくなので一曲聴いていきませんか?と即興ではなく、よだまりえさんと作った曲を歌う。最後だけ視線や身体の向きを変えて即興的にそこから見える風景を描写していく。
ありがとうございます、と3人を見送る。なんというか"新横浜"の洗礼?を受けた気が、、
少しして黄さんが合流。この日も即興でほぼ色んな曲を思いつくままに歌っていく。車とか今日とか明日とかビルとか場所柄もあるのか、そういった単語が思いつく。麦茶の歌や○△□の歌も思いついた、これは面白かった。この日はそんなに長くいずに黄さんから提案のあった新横浜唯一の公園へ。

この公園は線路をくぐって大きなラブホテルが両側にそびえ立つ道路をまっすぐ入ったところで四方にマンションに囲われる形で配置されているだだっぴろい公園。こんなにだだっ広い公園も久しぶりに見たかもっていうスペースで向こう側に砂場とブランコ、少し奥まった真ん中にそんなに大きくない木とベンチ、四方にベンチが少しという感じ。手前のベンチに腰掛けて少し黄さんと公園を観察。
そこから立ち上がってまるで公園自体が舞台でありつつ、鑑賞の対象のような感じで空間を動き出す。まず歩きつつ、自身の身体に広がりまた変化していく知覚体験に耳をすます。そこから少しムーブメントいくかいかないくらいの怪しげな動きも公園内に落としていく。(誰かこれに子供とかは気づいたかな?)
ベンチに集まりゲームに興じる小学生や親同伴でブランコや砂場付近で遊ぶ幼児たち。
端のベンチで休む仕事の休憩中と思われる大人たち。
そういった人々や公園の遊具や木々の中をすり抜けながら、時に別の人の動きをダンス的にトレースしては別に移り、やがて緑のシャベルを拾い、そこから手前ベンチ前に広がる砂利スペースに線をひいていく。何本かひいていくうちにこれがドローイングになりうる、このスペースを使った絵を描きうることに気付き俄然興奮して線をひいては別の視点に走って戻るような時間になっていく。
何本かの線をひいたところ、線をひくために抱え込む動きの傾向であるとか、にも気づいていく。周りの人で見ている人もいるのかもしれないくらいで進めていく。
○や△、□といったさっき歌にしたような言葉たちも再び形として地面に描かれていく。ナスカの地上絵とかは言い過ぎまでも、たとえばこの公園では人々の導線が有機的に遊びによって変化していく、また時間によって日当たりも変化、仕事の休憩などで訪れる人が鑑賞者のようにこのアクションを目撃するような時間も生まれる。そういった有機的な環境でドローイングを地面にしていくと砂埃も起こったり誰かがその線を踏んだり、あるいはその線にそって自転車をこいだり走ったりする動きが生まれたり線が消えていったりしていく。こういう中でドローイングの作家を集めて改めて線について考えるというのも面白いだろうなぁとアイディアが浮かんだ。
最後に書いた線を映像に撮影していった。ここでビデオとして残る映像がまた別の面白さがある。

黄さんによればこの公園を囲う四方のマンションそれぞれに小さい頃からの友達が住んでいるということ。昔はここで学年の半分くらいが集まってドッチボールに興じたこと。盆踊り大会が行われていて、それが終わった後もは手持ち花火などして騒いでいると向かいのマンションから友達のお母さんがうるさいぞ、と怒りに降りてきたことなどの思い出を話してくれた。
最後にその場で遊んでいた小学生の子に僕と黄さんの写真を撮ってもらった。近くのスーパーにはずっと警察の人が張り付いていた。
この日はいつも1人でのアクションだったけど最初の学生たちに出会ったり、黄さんと合流したからこそ出来たアクションというのがあった。
次回は8月か!




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