本当の表現力の鍛え方 :中編【オンライン面接で起きている問題】
直接の対面によるコミュニケーションから、ネット環境でのやりとりがメインになる時代。
もしかしたら、今後は、大きな商談などの重要な意思決定を、SNSやWEB会議システムによって行うことが珍しくない時代になるかもしれません。
となれば、オンラインの世界の中で、自分のプロジェクトや仕事について的確かつ魅力的なプレゼンテーションを行い人としての信頼や共感を築けるかが、ビジネスマンにおいては必須の力になるでしょう。
その先行経験を積める機会が、オンラインによる選抜に進化するAO・推薦入試なのかもしれません。
ところが、公教育においても民間教育においても、「ネット環境の中で自分の人格をどう形成し表現するか」についてのトレーニングを、子どもたちに十分に提供できているとは言えない状況です。
一方で、新卒大学生の就職活動の現場では、オンライン面接の際、学生が「カンニングペーパー」を使うことに対する問題が人事担当者から挙げられています。
志望理由や自己アピールなどをパソコン画面に表示させて、明らかにそれを見ながら話していることが、目線の動きなどで分かるそうなのです。
「まとまりのある話になるように・・・大事なことを伝えそびれないように・・・」という学生の不安感から、そうした行為が生まれているのだと思いますが、当然、このような学生に対する企業の評価は厳しい結果となります。
もちろん、これと同じことが、今後、AO・推薦入試などでも発生するでしょう。
それにしても、全く効果を発揮しないあまりにも愚かなカンニング行為が瞬く間に横行してしまうのは、「オンライン環境がもたらしたもの」ではなく、そもそも「言い回しや情報を台本化し、頭に叩き込み、そのまま再現することが表現力」という圧倒的な思い込みと勘違いのせいだとも言えます。
表現力のトレーニングは、やり方ではありません。
ただひたすら「あり方」を磨くことに尽きます。
では、一体「あり方」とは、なんでしょうか?
・その人が普段どう過ごしているか?
・その人が本当に考えていることは何か?
・その人が心から望んでいる世界はどんなものか?
つまり、対策や準備ではどうしようもできない「意識の領域」のことです。
そうした目には見えない人の波動が、ネット空間ではより色濃く出てしまうのです。
先のオンライン面接の中でのカンニング行為は、目に見えることだけに囚われたがゆえに陥ることだとも言えます。
ですが、目には見えない「意識の領域」をいかに耕せるか、それが、表現力を鍛えることに他なりません。
私は、このことが鍛えられる最大の環境は、実は「家族」にあると考えています。
今回のコロナ禍は、働き方や教育のあり方、余暇の過ごし方などにおいて、これまで当たり前とされてきたことやなかなか変えられなかった慣習が、半ば強制的に書き換えられています。
私たちの「日常」が抜本的に変わってしまったとも言えます。
その中でも、特に向き合う機会が多くなっているひとつが、実は、家族関係なのではないでしょうか?
私は、ここに、本当の意味での表現力が磨かれる「あり方」の本質があるのではと思います。
(後編につづく)