プロフィール記事 (僕はこんな人生を送ってきました)
はじめまして、世界のアオキです。
本名は青木 亮宏(あおき あきひろ)です。
この記事はプロフィール記事になりまして、これまでの半生を振り返りつつ、「僕はこんな人間です」というのを伝えられたらと思い、執筆しております。
簡易プロフィール
1981年8月生まれ、B型、既婚、子供2人
熊本県出身 熊本市在住
職業: 小さい会社の代表 IT系の教育事業
趣味: 読書・音楽・子育て・アウトドア・ドライブ・運動(ロードバイク、水泳)
幼少時代に好きだったこと
小さい頃はファミコンゲームが好きで、ほとんど毎日ゲームしていた記憶です。
小学4年生くらいに、友達の家にあった「デザエモン」というシューティングゲームを作るゲームを借りて、高難易度のステージを作るのにハマっていました。
小学5, 6年生頃は、「RPGツクール」というこれまたRPGゲームを作るゲームが登場。
武器
魔法
街並み
ダンジョン
ボスの名前や特徴、攻撃パターン、HPなどなど
ドラクエとFFを混ぜたような武器魔法ラインナップながら、自分なりに考えてノートに整理しながらゲームを作っていました。
人生の転機1つ目 東京進出
中学高校と成長するにつれ、現実とこれまでとの生活のギャップに悩まされるようになり、引きこもり直前の状態に。
当時はパソコンも携帯もなく、遊ぶ友達もほとんどおらず。
たまたま音楽が好きだったこともあり、ギターを買ってもらって一心不乱に弾きまくって。
「僕は音楽で食べていく」と決心し、高校卒業後に東京の音楽専門学校に行く事になりました。
音楽を作るということもまたとても楽しい時間でした。
専門学校2年間はお金はなかったけれど楽しく、充実していました。一方で卒業してすぐに音楽の仕事にありつけるわけもなく。
パチンコ屋のバイトをしたり、友達経由でネットワークビジネスに参加し、100万ほどの借金を背負ったり、散々な生活で。
気づけば22歳。
同年代の子たちは大学卒業し仕事をするというタイミングで、僕もしっかり働こうと一念発起。
色々と考えて、これからはパソコンの時代が来ると思い、親に頼んで20万弱のNECのノートパソコンを買ってもらいました。
それから毎日「特打」というタイピングソフトを使って黙々とタイピング練習してパソコン操作に慣れていきました。
東京で運良くIT系の仕事にありつけ、数年で借金返済しつつ、26歳ごろに熊本に帰郷。
振り返れば、東京に進出して現実に直面し、パソコンを使って生活していくと決心できたのが、1つ目の転機だったのかなと思います。
海外経験と副業に取り組む
熊本に帰郷してからは、半導体業界のソフト部門で仕事をしつつ、必要に迫られて英語を勉強したりExcelVBAを勉強したり。
真面目に働いてはいたものの、安月給も相まって、少しずつ悶々とした生活に。
と思うようになっていきました。
仕事で英語を使う事に少しずつ慣れていたので、自然と海外に目がいくようになりました。
韓国、中国、タイ、台湾。
少し時期を空けて、香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、ハワイなどなど。
特に印象的だったのはタイ。
バックパッカーの集まる観光名所、カオサン通りに降り立った瞬間に「世の中にはこんな世界があるのか」と衝撃を受けました。
いろんな人種、いろんなお店、大音量でサッカーの試合を流し、店員さんはマイペースでそっけない、ハチャメチャな雰囲気に圧倒されて。
その頃から、サラリーマンだけではない、別の人生、別の仕事のあり方というのも考えるようになりました。
同時に、たくさんの経験をするためにはお金が必要ということもひしひしと感じるようになり、あらゆる副業に挑戦するように。
アフィリエイト
中国輸入物販
Webライター
ホームページ制作
eBay
FX
EAトレード
プログラミング
ECサイト作成
コンテンツ作成
知り合いの結婚式場の動画撮影・編集
などなど。
いわゆる情報商材をたくさん買って、ちょっと試しては別の商材を買って。
月3万〜5万は稼げるようになりつつも、さらに別の方法はないかとあれやこれや試して。
気づけば借金200万ほどに膨れ上がり。
運良く出会えたマーケッターの方と、とある教材を共同作成する事になり、無事 借金返済できたり。
その頃に支えてくれた方と結婚しました。
人生の転機2つ目 子供が生まれる
34歳で結婚し、36歳で1人目の子供が産まれてから、より現実に直面するようになりました。
自分一人ではなく守るべき存在ができたことで、より一層頑張らねばと。
一方でどんなに仕事をしても安月給は変わらず、頑張って年に1万上がるかどうかというジレンマに。
転職も考えましたが、すでに転職を3回していて、熊本地震の経験から家族のそばにいたいという気持ちが強く転勤はNG。地方ということもありなかなかいい職に出会えることもなく。
導かれるように、副業に本腰を入れないとという思考になりました。
子育てしながらどうやって時間を確保しようかと考えた結果、
子供と一緒に21時に寝る
朝4時に起きる
朝4時〜朝7時の間 副業に取り組む
朝8時過ぎに出勤
という時間の使い方にシフトして、早朝に副業に取り組むようになりました。
ちょうどその頃出会えたのがオンライン学習プラットフォームの『Udemy』。
最初の講座は声を出すのも遠慮がちで、撮影も編集もわからない事だらけながらも少しずつ収録し、何度も出戻りしながらもどうにか前に進み、トータル4ヶ月ほどかかったと思います。
2020年2月上旬にどうにかこうにかリリースすることができました。
リリースから数週間後。
2月下旬に大腸ポリープの手術のため入院していたら、ちょうど『Udemy』のセールスが行われていて、スマホを見るたびに売り上げが増え、1日ごとに1万円増えるペースで、あれよあれよと10万円以上の収益になりました。
人生の転機3つ目 コロナ中の独立
『Udemy』をメインに副業に本腰を入れて数年。
月30万〜50万ほど売り上げが上がるようになった頃にコロナ禍に突入しました。
そして2021年末のこと。
以前からワンマン経営のパワハラ社長と折りが合わず、とあるトラブルで「うつ」診断になり、そのまま退職、独立することになりました。
もし副業をしていなければ、会社を辞める事も難しく、ガマンしながら過ごしていたと思うと、副業していて良かったなと心から思えたのでした。
ちょうどその頃、『Udemy』経由でお声がけいただいた、法人研修の会社から業務委託を受ける事になり、
法人研修、コンテンツ作成という2本柱で活動する事に。
迫り来る税金にヘキヘキしながらも、以前の生活と比べればまだマシだよなと思いながら現在も在宅にて活動しています。
これからのこと
思えばいろいろなことがありましたが、
幼少期に好きだった「なにかモノを作る」という事が、「学習コンテンツ作成」という形に変わり、自分が好きなように取り組めているという現状がとてもありがたいなと思っています。
もしインターネットがなかったら存在し得ない職業だし、これからも真摯に取り組んでいきたいなと。
一方で生成AIの成長は著しく、いろんな方面に影響を与え続けると予想されるので、持ち前の好奇心と原動力でこれからもいろんな事に挑戦していきたいなと思っています。
引き続きnoteにも取り組んでいきますので、お時間ある時にでもぜひ遊びにきてもらえたら幸いです。
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