エッセイ:『僕は薬がないと生きられない』
*本文中に病気や薬の内容があります。これは私の場合ですのでまずはお医者さんの指示に従ってください。これはあくまで私の場合ですので参考にされて何か起こっても一切責任は取らないのでその点だけお願いいたします。
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僕は毎日5錠、日によっては10錠の薬を飲んでいる。
薬がないと死ぬ、わけではないが、動けなくなる。不安に駆られて自傷行為に走るかもしれない。とにかく生きるのが難しい。もうほぼ不幸自慢かもしれないがこれが現状である。
狂気の沙汰である。まともな人間じゃない。
自分でそう思っている。でも調子がいい時はなんだか楽しい。
狂っていきたい、どうせ死ぬならその方がかっこいいから。
・・・
大学1年の冬、僕の心は壊れてしまったのだ。慣れない大学生活、容赦ない課題、人間関係に、将来への不安。それらに対してとにかく頑張って乗り越えようとしていた。
講義中は前の席に陣取り必死にノートを取った。
帰宅しても教科書を読み込んだり、教職課程の勉強もしていた。
バイトで稼いだ金は参考書に注ぎ込み、3年後の採用試験に向けて、睡眠時間を削って本に向き合った。将来に向き合った。
そして1年の前期が終わり、夏休みが始まった。少し遊んだが、また勉強に戻った。そして夏休みが終わる直前に前期の成績が公表された。
結果は最悪だった。あんなに必死にやったのに、授業中にタバコを吸いにいくやつより低かった。その時は悔しくて、悔しくて、もっと自分を追い込まなければ”立派な”大人になれないと、半ば、強迫観念に突き動かされていた。
後期はさらに授業数を増やし、専攻分野以外の授業にも出たり、電車ではビジネス系YouTuberの動画を倍速で見ていた。
いい大人に、立派な教師に、誰に見られても恥ずかしくない社会人にならなくては!!!!!。いい大人に、立派な教師に、誰に見られても恥ずかしくない社会人にならなくては!!!!!。いい大人に、立派な教師に、誰に見られても恥ずかしくない社会人にならなくては!!!!!。いい大人に、立派な教師に、誰に見られても恥ずかしくない社会人にならなくては!!!!!。いい大人に、立派な教師に、誰に見られても恥ずかしくない社会人にならなくては!!!!!。いい大人に、立派な教師に、誰に見られても恥ずかしくない社会人にならなくては!!!!!。いい大人に、立派な教師に、誰に見られても恥ずかしくない社会人にならなくては!!!!!。
その結果、ある時、ふとしたきっかけで心がぽっきり折れた。
燃え尽き症候群だった。しかもそこから徐々に、連鎖的に心が壊れて行った。
最終的に、家から出ることができなきなった。
電車に乗れば吐くし、自分が何か罪を犯しているのではないかと怯え、家にいても親がやばい人を連れてきて僕を精神科病棟に一生閉じ込めようとするのではないかと思い込み、夜は眠らず常に逃げ出す準備をしていた。
そんな生活がしばらく続き、祖父に精神科を勧められた。
明らかにおかしくなった孫を見て、これはもう「気持ちの問題」ではないと思ったらしい。幸い、そういうのには理解がある方だったので、隣町にある心療内科を受診することにした。
結果は「強迫性障害」。それも軽度のものだった。
ありもしないことが頭から離れず、その行動をやめられない。(しまっているのはわかっているけど、鍵を何度も開け閉めして確認してしまうなど)僕の場合は日常生活にあまり悪影響を及ぼしていないので、診断書はなかった。
僕は自分が病気であることがわかって少しだけホッとしたことをよく覚えている。自分だけではないという安心感からか。
しかし、当初は薬も飲めなかった。
アホらしいとは自分でもわかっているのに「先生は俺を騙している。この薬は毒だ」なんて考えて飲まなかった。そして悪化した。
次の診察では、どうにか飲んでほしい、祖父の力を借りてでも飲んでほしいと言われたが、まだ飲めない。
しかしある時本当に苦しくて死にたくなった時に、もう死ぬからどうせなら飲んでもいいか、そう思いヤケクソで飲んだ。するとしばらくして強烈な脱力感と睡魔に襲われ、何も考えることができなくなった。
(ここも人によるから絶対に参考にしないでほしい。)
薬が毒ではないことがわかってからは苦しくなったら飲むようにした。
そしたらだいぶよくなった。
ただ、精神疾患は治るのが遅いとか、治りにくいと聞く。
実際に、僕は3年経った今でも薬がないと生きられない。
パニック発作や極度の不安や吐き気に襲われる。
生きるのって大変や。