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Vol.9 既存顧客が先、新規顧客は後

 今でこそ販売店は売り上げの減少に見舞われていますが、私が経営を引き継いだ2002年ごろは新聞販売店もまだまだ儲かっていました。その中で、読売新聞本社が私のような若造を社長に据えようとおもったのは、裏を返せば、それだけ問題のある販売店だったということです。

 実際、寝屋川市の販売店は深刻な問題に見舞われていました。そのきっかけは、はっきり言って取るに足らない話です。

チケットの便宜がバレて不買運動に発展

 前任の経営者が一部の既存読者に便宜を図っていました。それが不公平だと不買運動に広がってしまったのです。初期対応に問題があったのでしょう。その状況を聞かされていたので、まずは既存読者の満足度を高めることにしました。

 新聞販売業界の悪弊ですが、新規契約の時は洗剤や野球のチケットなど大盤振る舞いするのに、契約した後はほったらかしで何もしません。前任の社長が住民ともめたという経緯もあったので、継続して購読してくれている現読者の方に、これまでのお礼を伝えるところから始めようと思ったんです。

 宅急便のサービスを構築したヤマト運輸株式会社の故小倉昌男さんは、「サービスが先、利益は後」という名言を残しました。最初にコストがかかったとしても、お客さんが満足するサービスに磨きをかければ、いずれは十分な利益が生まれるという考え方です。

 新聞販売店にとって新規の契約はとても重要です。ただ、既存向けのサービスを改善することが、結果として全体のブランド構築につながると考えました。

借金して既存読者に洗剤を配る

 そのために何をしたか。通常、社長が替わると新規の営業にお金をかけるものですが、すべての既存契約者分の洗剤を仕入れ、1ケースずつ配ることにしました。自分ひとりでは無理なので、地元の主婦6人を採用して。洗剤の仕入れ代金や主婦の方の人件費は借金です。

 その際に、社長交代の報告やこれまでのお礼、地域に対する考え方などを書いた直筆の手紙も同封しました。販売店の経営権利を得るために国民金融公庫で700万円を借りたという話は既にしました。残った70万円で家庭用の印刷機を買い、それで手紙を作成したんです。

 これは笑い話ですが、販売店のエリアの中に読売新聞の社員の方が住んでおり、僕が配った手紙チラシを見てお叱りを受けました。そのチラシには「新聞業界は新規契約者ばかりを見て、既存読者をないがしろにしてきました。釣った魚にエサをやらないという新聞業界の常識は非常識だと思います。僕たちはそんな新聞業界を変えていきたいと思います。」と新聞業界を批判する内容が書かれていました。

 こういった取り組みを進めたことで、「今度の社長さんは違うね」という評判が地域で広がり始めました。既存顧客の満足度が向上し始めたということです。ここで、足元の土台固めはうまく行ったと判断し、新規営業を始めることにしました。いよいよ攻めの段階です。

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ライバルを油断させた偽装工作**

 ただ、営業しているのがライバル紙の販売店に漏れると警戒されるので、営業に動いているのは極力、伏せました。

 当時は早朝に朝刊を配り、作業台の寝袋で仮眠を取り、朝9時から、また夕刊配達後の18時から営業に行っていました。営業に行く時には、配達の時のGパンにジャンバーという格好で外出し、クルマの中でスーツに着替えて営業し、再びクルマの中で着替えて販売店に戻るという偽装工作までしました。他の販売店を油断させるためです。

 たまにライバル氏の販売店の社長が覗きに来ましたが、僕はいつも汚い格好で出かけていましたから、パチンコや飲みに行っているとしか思われなかったと思います。

 5月に経営を引き継ぎ、洗剤を配った後は5月も、6月も、7月も隠れて営業していました。この3カ月間に獲得した新規契約は300件。契約者数1200件の販売店としては破格の数字です。ただ、実際に購読をスタートする日は8月1日に揃えてもらいました。「8月1日まで今、ご契約している××新聞さんには黙っていて下さいね。解約は全部こちらでやっておきますから」と言って営業しました。

新規契約者300件の純増

 そうしたのは、その方が競合店に与える影響が大きいからです。現に、8月1日の早朝、競合店は大混乱になりました。いつもの通り、ポストに新聞を入れようとしたら、「新聞を切り替えました」という張り紙があるのだから当然です。オセロが黒から白に一気に変わる感覚でした。

 もちろん、ライバルの販売店もすぐに反撃に出ました。今、自紙に乗り換えれば、地元のスーパーの商品券を2万円プレゼントするというキャンペーンを始めたんです。ただ、すぐに既存読者にキャンペーン内容が知れ渡り、逆にクレームの嵐に見舞われました。自滅したの格好です。

 当時の新聞販売店業界は取った取られたの繰り返しで、新規を獲得しても、すぐに他紙のキャンペーンで別の新聞から取り返していました。ただ、この時の読売新聞は300件の純増。最終的に、8カ月で600件まで新規契約者を獲得しました。それもこれも、「既存読者が先、新規は後」という考え方が正しかったからだと思います。

 その後、奈良県生駒市の販売店を経営するまでの間はさまざまな経験をさせてもらいました。京都の有名なコーヒー屋さんとコラボして、1週間のお試し購読のお客さんにコーヒーと手紙を配るという実験なども寝屋川市の販売店で始めたことでした。

 新規獲得の効率を上げるために、自前のコールセンターを立ち上げたのもこの時です。リーマンショックの後、他社の販売店が営業担当をリストラして、営業力が軒並み落ちたことがありました。その時に、電話営業で仕事がとれたのは、コールセンターをつくっていたおかげです。

 リーマンショッ以降、景気の低迷やスマホの拡大で新聞の購読者数や折り込みチラシは減少の一途を辿りましたが、その中でスマホ販売事業やまごころサポートなど、新しいビジネスを展開することができたのは、寝屋川市の販売店の「既存読者をしっかり見つめる」というベースの考え方がしっかりあったからです。商売における大切なことを教えてくれた当時のお客様には本当に感謝しています。


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青木慶哉 MIKAWAYA21オフィシャル
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