これまで書いてきているように、MIKAWAYA21はまごころサポートというサービスをフランチャイズの加盟店に提供する本部という位置づけです。その役割は、まごころサポートだけでなく、シニアの方々が求めるサービスや商品を開発し、加盟店のシニアライフコンシェルジュ(SLC)が活用しやすい形で提供することにあります。 これまでにも、マゴコロボタンの開発やメリカリの活用法、インターネットラジオの開設講座、健康維持のための健康教室など、高齢者の方々の生活を明るく、豊かにするさまざま
以前のポストで、スタートアップを支援している孫泰蔵さんに出合った後、まごころサポートを全国に広めるべく、MIKAWAYA21を創業したという話をしました(https://note.com/aoki_21/n/n2b35576a3d83)。ただ、当時のビジネスモデルは今とは少し違いまして、まごころサポートを軸に、部数減に直面している新聞販売店の経営改善をお手伝いするという形態でした。全国の地方新聞に講演に行き、そこで各地域の新聞販売店に営業をかけるというやり方です。 ただ
ここまでの投稿を振り返って、うまくいった話しか書いてないじゃんと思われたかもしれませんが、20年を超える起業家人生の中では新聞店の資金がショートしかけて社員の給料を自分の500円玉貯金で払ったり、、新聞店に併設したレストランの経営に苦労したり、思ったようにいかず悩むこともしばしばでした。 ただ、僕は子供のときから都合の悪い情報をいい話に書き換える癖があるんです(笑) MIKAWAYA21を創業した後も社員が一斉に辞めたり、逆に従業員をリストラせざるを得なかったり
今でこそ販売店は売り上げの減少に見舞われていますが、私が経営を引き継いだ2002年ごろは新聞販売店もまだまだ儲かっていました。その中で、読売新聞本社が私のような若造を社長に据えようとおもったのは、裏を返せば、それだけ問題のある販売店だったということです。 実際、寝屋川市の販売店は深刻な問題に見舞われていました。そのきっかけは、はっきり言って取るに足らない話です。 チケットの便宜がバレて不買運動に発展 前任の経営者が一部の既存読者に便宜を図っていました。それが不公平だと
20歳で会社を設立すると決めていましたが、実際にその段階になると、どういうビジネスを始めるか、その内容を考えるのに苦労しました。 マクドナルドの配送で食いつなぐ 「何をしようか」と考えていると、7つ上の地元の先輩が仕事も覚えてきたので、そろそろ独立を考えていると言います。先輩はハウスクリーニングやリフォームの技術を持っている。僕は営業が大得意です。「じゃあ、一緒に会社をつくりましょう」ということで、先輩とふたりでリフォーム会社を作りました。1996年のことです。 会社
今回は、なぜ僕が起業家を目指したのかというお話でしたね。僕は20歳のときに家を出てから、会社は小さいながらも20年以上、経営者として生きてきました。会社勤めではなく起業の道を選んだのは、高校1年生の時の経験が原体験としてあるからです。 実は僕、タガログ語が話せます 僕は高校1年のときに2週間ほどフィリピンを旅行しました。フィリピン出身の仲のいい同級生がいたのですが、母国に帰ってしまって、それで夏休みに遊びに行ったんです。せっかく初の海外旅行なのでタガログ語が話せた方がいい
前回の連載記事で、新聞販売店の横に併設したスマホショップが想像以上の成功を収めたという話をしました。「日本一親切なスマホショップをつくる」という方針を立てたものの、まごころデジタルサポートを活用していただいたシニアの方々が、あれほど多くのご家族を連れてきてくれるとは思いませんでした。 ソフトバンク社内でも話題に 僕が経営していた「ニュース&モバイル」はソフトバンクのiPhoneを扱うお店ですから、「生駒市の販売店がiPhoneをガンガン売っている」と、ソフトバンク本社でも
2011年に、奈良県生駒市の販売店で契約者の年齢調査をしたという話は前回しました。この時の調査が、販売店の営業マーケティング戦略をシニアにシフトさせる転換点になりました。 もっとも、僕は若者の獲得をあきらめたわけではありませんでした。新聞という商品が若者に刺さらなくなっただけで、若者に訴求できる別の商品を見つければ、地域の若者をお客さんにすることができると思ったのです。僕にとって、その商品はスマートフォンでした。 スマホを売る新聞販売店 若い方の中には知らない方もいる
1回目の記事でお話ししたように、僕は23歳から37歳までの約15年間、読売新聞の新聞販売店を経営していました。 23歳で始めた販売店は大阪府寝屋川市にある小規模なお店、27歳からは、その店と並行して奈良県生駒市の大規模な販売店の経営を任されていました。寝屋川市の販売店は1800件ほどの購読者数でしたが、生駒市の販売店は1万件の購読者を抱える大きなお店です。 不振店の立て直しに白羽の矢 もっとも、生駒市の店舗は購読者こそたくさん抱えていましたが、朝日新聞だけでなく毎日新
前回(https://note.com/aoki_21/n/n605262aa0331)はMIKAWAYA21という会社とまごころサポートについてご紹介しました。新聞販売店など既存のアセットをシニア向けサービスの拠点として活用することで、シニア向けサービスだけでなく、新聞販売店とMIKAWAYA21の双方が事業を継続できるビジネスモデルだということがご理解いただけけたのではないかと思います。 3回目の今回はMIKAWAYA21とまごころサポートの内容をさらに深掘りしてい
みなさんは新聞販売店と聞いてどういうイメージを持つでしょうか。一定の年齢を越える方であれば、プロ野球の観戦チケットや洗剤をもってよく営業に来ていたという印象かもしれません。あるいは、紙の新聞の落ち込みやネットへの移行を受けて、購読契約の減少が止まらない落ち目の斜陽ビジネスと思うかもしれません。どちらもその通りですが、いずれにせよポジティブなイメージを持つ人は減っているのではないでしょうか。 私はそんな新聞販売店の経営を23歳から37歳まで、14年間続けてきました。そして
新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴う外出自粛措置が世界中で猛威を振るっています。感染リスクを恐れず治療に当たっている医療従事者には、本当に感謝の言葉以外にありません。 今回の新型コロナは、人と人とのふれあいやコミュニケーションという現代の人間活動の根本に恐怖心を植え付けました。集団免疫を獲得したり、ワクチンが開発できたりすれば別ですが、飛沫などによって感染するということが明らかな以上、これまでのように他の人とふれあうことに嫌悪感を持つ人は増えるでしょう。親しい人、